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アフリカ関連用語集

〜より充実した内容を目指し、随時更新していきます。〜

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斜体字は民族名です
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・カアルタ王国 18C中ごろにセグー王国内の権力争いに敗れたバンバラ人の一派が建てたバンバラ人の王国。現在のマリ共和国からモーリタニア国境にかけての地域、つまり古代ガーナ王国の栄えた地域を統治した。
19C半ばにエル=ハジ=ウマルのトゥクロール帝国に滅ぼされた。


・ガオ マリ共和国東部ニジェール河沿いの交易都市。かつてのソンガイ帝国の首都でありサハラ縦断交易の重要な拠点としても知られている。

いつ頃からガオに人間が定住し始めたかは定かではないが伝説によると7C頃にソンガイ人が先住の住民を追い払いガオに住み着き始めたという。ガオをソンガイ王国の首都に定めたのはイスラムに改宗したディア=コッソイという王であり11C初頭の出来事であったといわれている。

ガオは14C初頭にはサハラ縦断交易の西・中央ルートをすべて掌握することを狙ったマリ帝国に併合されたが1370年代には独立を回復。14C後半から始まるソンガイ帝国の首都として、またサハラ交易の富によって栄えたが、1591年のモロッコ軍侵攻により破壊された。

15Cに建てられたガオの大モスクはアスキア大帝の墳墓でもあり現在世界遺産に登録されている。


・カゴ バスケトリー
・絣 に織る前の糸を染色する際に、繊維で縛るなどして糸の一部に防染を施すこと。織り上げたときに防染を施した部分が文様となるように計算して防染を施す。アフリカではヨルバ藍染め絣が有名である。

経糸に防染を施したものを経絣、緯糸に防染を施したものを緯絣という。

アフリカの染め布


・ガーナ
 (共和国)
西アフリカギニア湾に面した国。古くから豊富に金が取れることで知られていた。南の熱帯雨林から、北へ行くにつれ徐々にサバンナ気候に変わったいく。植民地化されていたアフリカ諸国の中で最も早く独立を達成した国(1957)。ガーナという国名は、7,8C〜11Cに現在のマリモーリタニアの辺りに存在した強大なガーナ王国(古代ガーナ)の住民が南に移住し、アカン系民族の始祖となったとの伝説からとられた。
主な民族はアカン系諸民族(アシャンティもこの中に含まれる。)、モシ、ガン、エウェなど。
ケンテ布やアシャンティ独自の紋章を施した工芸品は広く知られている。
ガーナの商品


・ガーナ王国 現在のマリモーリタニア領を中心に栄えた古代王国。起源は4世紀にまで遡るとの説もあるが、概ね7,8C頃ではないかと言われている。

ガーナの王はカヤ-マガン(黄金の君主)とも呼ばれた。この称号が示すとおり、ガーナ王国は領地のセネガル河流域で豊富に取れる金の交易で(または南方の国の物資と北方の国の物資の交易の仲介業者として)莫大な利益を上げた。ガーナ王国の首都にはガーナ人(マンデ系の民族であったと考えられている。)の街と、交易に従事するアラブ人、ベルベル人たちのムスリムの街があったという(現モーリタニア領のクンビサレー遺跡はガーナ王国の首都の遺構と考えられている。アラブの地誌家が記した王の街とムスリムの街によく似た街並みが発掘された)。

交易で得た利益をもとに当時のアフリカで最大最強の国家となったガーナ王国であったが、11C半ば〜後期にかけてのベルベル人によるジハード(アルモラビード朝の拡大)により崩壊した。(ガーナ王国の残存政権はマリ帝国支配下の地方領主として存続した。)
ガーナ王国は西アフリカ初の広域国家であり、トランスサハラ交易の発展に大きく寄与した。


・カネム=
ボルヌー帝国
チャド湖周辺を中心として、中央スーダンに9〜19Cにかけて栄えた帝国。9〜14C後半までをカネムー帝国、それ以後をボルヌー帝国と区別することもある。時代により異なるが、チャド西部、ニジェール東部、ナイジェリア北東部、カメルーン北部などが版図に含まれていた。

9C初め頃にカヌリ人がチャド湖北東のカネムー地方に王国を立てたのが始まりとされている。11Cにイスラム化後、大規模な騎馬軍団を組織し版図を拡大、サハラ縦断交易の要衝として栄えたが14C後半に内乱のためチャド湖南西のボルヌー地方に国家の中心を移した。

16C後半のイドリス=アローマ王の時代にカネム=ボルヌー帝国は最盛期を迎える。サハラを越えて輸入した大量の銃で組織した帝国の鉄砲隊により中央スーダンの支配を強固にし、サハラ縦断交易による収入は帝国を潤した。

サハラ縦断交易の支配権を失った18C半ば頃からカネム=ボルヌー帝国は徐々に衰退を初め、1808年にソコト帝国により首都が陥落。19C半ばにはカネムー地方に細々と存続していた残存王朝も完全に滅びた。


・カブレ トーゴ北部の山岳地帯に居住する農耕民族。17,8Cにモシ王国バリバの奴隷狩りから逃れるために峻険な山岳地帯に移住してきた。


・ガボン 中部アフリカギニア湾に面した国。国土の大半は熱帯雨林。石油や鉱物資源によりGDP/人口はサハラ以南のアフリカではかなりの高水準。
主な民族はファン、エシラ、アドゥマ、クウェレなど。森林部には少数ながらピグミーが暮らす。
ファンの仮面、彫刻はアフリカ芸術を代表するものとして国際的に高く評価されている。(うろ覚えではあるが、何年か前にファンの古い仮面がウン百万ユーロ‐円じゃなく‐で落札されたというニュースがあった。)
ガボンの商品


・カメルーン 中部アフリカギニア湾に面した国。半砂漠から熱帯雨林まである変化に富んだ気候と、多種多様(一説には200を超える民族が居住しているとも言われる。)な民族が暮らすこの国はアフリカの縮図と呼ばれることもある。
主な民族はファンバミレーケティカールフルベハウサ、(森林部には少数のピグミー)など。ファンはもとよりバミレーケなども彫刻やビーズ細工等の美術品でその名を知られている。
カメルーンの商品


・仮面 アフリカで仮面が用いられ始めたのは少なくとも紀元前後にまではさかのぼれる。アルジェリアのタタッシリ=ナジェール壁画にその頃描かれた絵には仮面らしきものをつけた人々の姿が描かれているからである。一般論的に言って仮面や立像などの木彫文化は農耕民の文化であり、遊牧民、狩猟採集民などはこれらの文化は持たない。また伝統的木彫文化は主に西、中部アフリカで盛んであり、東、南部アフリカではさほどでもない。

アフリカの仮面には顔にかぶる仮面(日本で言う仮面のイメージに最もよく合致するタイプの仮面)のほか、
ヘルメット型仮面:顔ではなく頭に帽子のようにかぶる仮面。そのまま顔面まで覆うタイ
           プのものもある(セヌフォ火を吹く仮面ヨルバの仮面など)
頭上面:上記のヘルメット型仮面と区別しがたいものもあるが、カゴや革で作った帽子
     の上に取り付けて使用するタイプの仮面(彫像)。仮面としての機能を持つが、
     踊りの衣装や頭上に取り付けるための帽子などから切り離されて、形状だけで
     見る場合は彫像のように見える(当店でも便宜上、仮面ではなく立像として分
     類している)。(バガニンバ像、バンバラチワラなど)

アフリカの伝統社会の中で仮面は重要な役割を果たしていて、仮面を製作・使用する民族の祭礼・儀式では仮面が中心的な役を演じるが、その重要性ゆえに、仮面を作っているところを人に見られてはいけない、とか、女子供は仮面を見てはいけない、などのタブーをもつ社会も多い。

しかしアフリカでは仮面そのものに価値を見出す社会は少ない。仮面はそれに対応する衣装、被り手の三者が祭礼・儀式(農耕際、葬式、通過儀礼、秘密結社の儀式など)の場に現れることによってはじめて神話的・宗教的な意味を持ち、被り手(踊り手)は、人ではなく仮面に宿る精霊や祖霊そのものとみなされる。

西、中部アフリカでは仮面結社を持つ民族も多く、その社会では仮面を用いた儀式をつかさどるのは結社成員である。いずれにせよ精霊、祖霊、超常力のよりしろとなるべき仮面は、アフリカ人の世界観を木から彫り出したものであり、その生命力と独創性に満ちたかたちは見る者をあきさせない。

アフリカの木彫特集を見る>>
アフリカの仮面


・カヨール
   王国
14C半ば?ジョロフ王国の宗主権のもとに現セネガルの北西部につくられたウォロフ人の王国(カイヨール、カジョールとも)。

初期にはジョロフ王国を形成する小国家群のひとつに過ぎなかったが15C半ばから始まったヨーロッパ人との交易を通じて力を蓄え16C半ばにジョロフ王国からの独立を達成した。セネガンビアのウォロフ系王国分立時代に最も力のあった国であり、フランスによる植民地化にも20年以上にわたり激しく抵抗した。抵抗戦を指揮したカヨール王国実質上最後の王ラット・ジョール=ジョップは現在でもセネガルの国民的英雄として語り継がれている。ラット・ジョールの死(1879)をもってカヨール王国は実質上滅亡した。

なおセネガルの歌手ユッスー=ンドゥールとベネトンが2008年に設立したビリマ基金の「ビリマ」とはユッスーの代表曲のひとつであり、カヨール王国の王ビリマ=ンゴネ=ラティール=ファールのことを歌ったものである。


・ガンビア 西アフリカ、ガンビア川沿に沿って東西に細長い領土を持つ国。大西洋に面した海岸線以外の国境線をセネガルに囲まれている。82年~89年までの間セネガルとセネガンビア連邦という国家連合を形成していた。

主な民族はマリンケウォロフフルベジョラなど。

アレックス=ヘイリーの小説「ルーツ」の主人公クンタ=キンテの故郷としても知られている。


 
・ギニア 地理、歴史学で言うところのギニアについて。漠然とギニア湾岸一帯の熱帯雨林地方をさす言葉。現国名で言うと西はセネガル南部から東はガボンまで(アンゴラを含める場合もある)の熱帯性気候の地域をギニアと呼ぶ。
アフリカでギニアの名を使った国としてはギニア共和国ギニア=ビサウ、赤道ギニアの三ヶ国がある。

アフリカの地域を大雑把に表す呼称としては他に「スーダン/サヘル地域一帯に相当」、「コンゴ/中部アフリカ一帯」、「マグレブ/北アフリカ西部」などがある。


・ギニア
  共和国
西アフリカ西端、大西洋に面した国。ギニア=ビサウと区別するためにギニア=コナクリとも言う。沿岸部は熱帯雨林、北東部はサバンナ気候、内陸にはフータ=ジャロンニジェール河の水源でもあるギニア山地などいくつかの山岳地帯をかかえ、気候的にも地形的にも多様性に富む。マリ帝国サモリ帝国発祥の地であり、豊かな歴史、伝統文化を持つ国として知られている。1958年、旧フランス領アフリカ植民地の中で最初に独立を達成した。
主な民族はマリンケフルベススなど。
マリンケや沿岸部に住む少数民族バガなどが彫刻に優れた民族として知られている。藍染め布でも有名。
ギニアの商品


・ギニア
  ビサウ
西アフリカギニア湾に面し、北のセネガルと南のギニア共和国にはさまれた大陸側の領土と沿岸の多くの島(ビジャゴス諸島)からなる熱帯の国。ビジャゴス諸島にすむビジャゴという民族は彫刻を施したカヌーの船首をつくることで知られている。

主な民族はバランテ、フルベ、マンジャク、マリンケなど


・砧打ち布 砧(棍棒状の槌。木でつくられていることが多い)で叩いてつやを出した。砧で叩くことによって織物の繊維がつぶれ滑らかな光沢が生まれる。

砧打ち布の独特の光沢とつやは西アフリカで好まれていて多くの民族が民族衣装に用いている。ハウサが作る藍染めの砧打ち布はトゥアレグが好んで身に着けることで知られている。


・キンケリバ ケンケレバとも。西サヘルの丘陵地に自生する双子葉植物フトモモ目シクンシ科の低木、またはその葉で入れた茶状の飲み物。セネガルギニア共和国マリブルキナファソなどの国ではキンケリバの葉を煎じてつくった飲み物は伝統的な茶として広く飲まれている。

キンケリバ茶はタンニンやポリフェノールを豊富に含み、やせ薬や抗マラリア薬としての薬効もあるといわれてきた。キンケリバのことをフルベ語では「キキリバ」というがそれは「全てを治す木」という意味である。枝ごと切り取った葉を乾燥させ束にして売っていることが多い。

キンケリバの枝や幹は丈夫なため建材などに使われる。


 
・クウェレ ガボンカメルーンコンゴ共和国の国境地帯に居住する民族。呪術信仰が盛んであり、クウェレの社会では突然の死や疫病などの不幸はすべて呪術のせいだと信じられている。

狩猟儀礼に用いられるEkukと呼ばれるハート型の縁取りと顔を持つ仮面が有名(→ハート型の顔)。


クバ バクバ
・クバ王国 17C前半に現在のコンゴ民主共和国の南東部に建設された王国。クバの女王の養子シャムバ=ボロンゴンゴがその地域にいた多くの民族(それぞれ小さな首長国をつくっていた)を統合して建国した(伝承によればシャムバはクバ−それまでは小首長国のようなものだった−の93代目の王だといわれている)。

19C半ばを頂点として栄えたが19C末にベルギーの保護領となった。同地域の統一的な政権は失ったもののクバ首長国とも言うべきものは現在まで存続している。

クバ王国は宮廷美術が発達したことでも知られ、その洗練された作品の数々はアフリカ美術の一つの到達点であるとも言える。それぞれの人格や事績をあらわすものを身に着けた歴代国王の肖像(木の坐像)が特に有名。


・グリオ

西アフリカに広く見られる職業的口承伝承演者。「語り部」「吟遊詩人」と訳されることも多い。
王国の歴史、系譜、有力な家系の歴史、褒め歌などその社会の出来事を時には楽器(コラ等)の音色にのせて語り、生活の糧を得る。

グリオは大規模な王国が発展したマンデ系の社会において特によく見られる。この地域ではグリオの家系があり(ジャバテ、シソコなどがマンデ系の代表的なグリオの家系)、グリオの家のものはグリオの家のもの同士で結婚する。この地域の伝統社会において特殊な技能を持つ職能集団(鍛冶屋など)と同様に、社会的には低い地位にあり、またその特殊技能によりある種の畏れをもって接せられる。

ほぼ無文字社会であったサハラ以南のアフリカにおいて彼らの伝える伝承の重要性は高く、
「一人のグリオの死は一つの図書館が灰燼に帰したに等しい。」とまで言われる。

現在伝統楽器をギターに持ち替えた(伝統楽器を使っているグリオもいる)現代のグリオ達がポップミュージックの世界に進出し高い評価を得ている。

今日でも西アフリカ各地で祝い事などの折にはコラを抱えたグリオを見ることが出来る。また時にはコラを抱えレストランや家々をまわって歌を歌っていく「流し」のグリオの姿を目にすることもできる。


・クル リベリアの主要民族のひとつ。17C頃から同地域で始まったヨーロッパ人との交易に従事し、象牙交易などで栄えたが、奴隷交易に従事することは断固拒否し、時にはヨーロッパ人との交易で手に入れた銃を用いて奴隷交易に抵抗した。


・グルンシ ブルキナファソ南東部、ガーナ北部に住み農耕民族。多くのサブグループをからなる民族集団の総称(円盤状マスク、パピヨンマスクで有名なブワ民族もグルンシのサブグループのひとつである)。白、赤、黒を基調とした彩色を施した仮面を製作することで知られている。
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・グレボ コートジボアール南西部およびリベリア南東部に居住する民族。クルのサブグループの一つでヤシの栽培などに従事する農耕民族である。

周辺のほかの民族の仮面・彫刻の自然主義的な異なり、グレボの仮面は目鼻口などのパーツが極端に記号化されていて、平らな顔面から円筒形の目(時には4個、6個、8個だったりもする)が飛び出ているという特徴を持っている。


・グロ コートジボアール南東の内陸部に住む、農耕狩猟民族。グロの彫刻は仮面のみだが、人面と動物の諸要素が複雑に結びついた優雅な仮面を製作することで知られている。グロの仮面は半人半獣の森の精霊を表すとされ女子供が仮面を見ることは禁じられている。
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ケイタ,
スンディアタ
(スンディアタ
   =ケイタ)
1190?〜1255。マリ帝国の創始者。1190年頃に現ギニア共和国東部ニアニのカンガバ王(小規模な地方政権)の息子として生まれる。11C後半にガーナ王国が滅亡した後、ガーナ王国の旧領を支配したテクルールの王スマングルでありスンディアタの国もスマングルの支配下にあったが、スマングルの圧政に不満が募り独立の気運が高まった。

異母兄により国外に追放されていたスンディアタは1230年頃?隣国の王の援助を受けカンガバの王位を奪取。さらにスマングルに対し戦いを挑んだスンディアタは、現在のマリの首都バマコ近郊のクリコロの近くに位置するキリナの会戦においてスマングルを(伝説によれば妖術合戦の末)破り、ガーナ王国の旧領の支配権を確立した。

スンディアタが王位についた1230年頃から彼の国は「王の住まう所」を意味するマリと呼ばれるようになった。1255年没。スンディアタの作った帝国はサハラ縦断交易によって富み栄え、サハラ以南のアフリカ史上最も輝かしい栄光に彩られた黄金の帝国として人々に記憶されている。

伝承に謂う。ニアニの王は放浪の狩人が連れてきた醜い女性を娶ればやがて王となるべき運命の子を授かるであろうとの予言を受けた。ある日トラオレ家の狩人二人がソゴロン(バッファローの意味)と呼ばれる醜い女を連れてきた。王はこれを娶りスンディアタという息子を授かった(またの名をソゴロン=ディアタ。ディアタはライオンの意味)。青年になるまで歩くことのできなかったこの子供がやがてアフリカ史に燦然と輝くマリ帝国を築き上げることになる。

スンディアタ自身はムスリムであったが、従来の民俗信仰を抑圧することなく、自身もまた偉大な力を持つ妖術師として知られたいた。スンディアタの出身氏族であるケイタはカバを一族の象徴とし,現在でもケイタ姓を持つ人々がマリ、ギニア、コートジボアールなどに多数居住している。民族の偉大な英雄としてスンディアタの伝説、伝承は現在でもマンデ系民族の間で語り継がれグリオによる伝統的な誉め歌のみならず、ポピュラー音楽の中でも歌われている。


・ゲゾ 在位1818〜1858.。ダホメー王国十代目の王。ダホメー王国の最盛期を現出した。

1818年に即位したゲゾは軍備を強化し周辺諸国に侵攻、獲得した戦争捕虜を奴隷として売り払った。奴隷貿易の利益により軍備を強化し、さらに大量の奴隷を捕獲するというシステムがうまく作用しダホメー王国は繁栄した。

軍事大国となったダホメーはゲゾ王の時代に東方の大国オヨへの貢納を廃止。それを理由としてきたオヨ軍を撃退し東ギニア一の強国の地位を確立した。

1858年にヨルバ諸国との戦争で戦死。


・ケニア 東アフリカの国。沿岸部はアラブやインドとの貿易によりスワヒリ文化が栄えた。内陸のサバンナにはマサイ等の遊牧民が暮らす。
主な民族はキクユ、カレンジン、ルオなど
ケニアの商品


・ゲレ ウェとも。コートジボアールリベリアの南部国境地帯に居住する農耕民族。クル語系の言語を話す。

ゲレの仮面は近隣の民族の自然主義的な傾向とは異なり、抽象化の進んだ造形をしていて、円筒形の目、大きく開いた口などが特徴的である。

・ケンテ布 主にガーナアシャンティ人によってつくられる織り布。アサンテヘナ(アシャンティの王)の衣装にも用いられる。鮮やかな原色を用いたよこ縞模様や細かな織り模様が特徴。10〜20p程度の細幅布を縫い合わせて使用する。アフリカの布の中でも非常によく知られているもののひとつ。

トーゴでもケンテ布が作られているが派手やかな色合いのガーナケンテに比べて渋い色調のものが多い。

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・ケンケレバ キンケリバ
 
・コートジ
   ボアール
西アフリカギニア湾に面した国。かつて象牙の輸出が盛んだったため仏語で象牙海岸を意味するこの名前がついた。
主な民族は、バウレ、ディダ、マリンケデュラセヌフォロビダンヤウレなど。
この国はセヌフォ、バウレ、ダン、ロビなど仮面、彫刻文化で世界に名を知られた民族が多数居住する、アフリカの木彫文化の中心地のひとつでもある。
コートジボアールの商品


・子安貝 ビーズとともに貨幣として用いられていたことでも知られている子安貝(タカラガイとも呼ばれる)は、その形が女性器を連想させるため古来アフリカでは女性や生命力の象徴として祭具、偶像、宗教用品、装身具などに用いられ、現在でも子安貝を使ったお守りなどが西アフリカの日常の中に深く根付いている。
西アフリカでは奇数個の子安貝(通常5個か7個)を投げてその散らばり方や表裏の数を用いる占いが盛んに行われている。占いに使ったりまじない、お守り用に使うため子安貝は、伝統的な薬や呪術用品を売る店で売られていることが多い。

西アフリカで通貨として使われていた子安貝は主にモルジブ産のものであったという。サハラを越えて子安貝を西アフリカに運ぶ交易は非常に利潤の大きな商売であった。マリ帝国の時代の記録によれば原産地から西アフリカに運ばれてくる間にタカラガイの価値は3千〜1万倍になったという。

子安貝を使ったアクセサリーを見る

ネックレスピアス・ブレスレット
・コラ サヘル諸国の広い地域で使用されている西アフリカを代表する弦楽器。皮を張った半切りのひょうたんを共鳴器にして、棹と弦を取り付けた楽器。大きいものはひょうたんの直径が40p以上にもなり、最大で21本の弦を張る。西アフリカでグリオ(Griot)と総称される吟遊詩人=語り部が好んで用いることでも知られている。その哀調を帯びた澄んだ音色は世界各地でファンを獲得し、現在欧米で活躍し日本でもその名を知られているコラ奏者も少なくない。

またアフリカ最大のポピュラー音楽賞はこの楽器の名前を冠してコラ音楽賞と呼ばれ,受賞者にはコラをかたどったトロフィーが贈られる。

今日でも西アフリカ各地で祝い事などの折にはコラを抱えたグリオを見ることが出来る。また時にはコラを抱えレストランや家々をまわって歌を歌っていく「流し」のグリオの姿を目にすることもできる。
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アフリカのひょうたん楽器 コラ(八弦) バンバラアフリカのひょうたん楽器 ミニチュアコラ ニジェール


・コーラナッツ アオギリ科コラノキ属の総称。常緑高木で一個の果実の中に5〜10個程度の種子がある。この種子がコーラナッツと呼ばれ、多量のカフェインを含むため噛むと覚醒作用があり、古くから西アフリカや北アフリカで嗜好品として愛用されてきた。コーラの産地は現ガーナなどギニア地方の熱帯、亜熱帯地域であり、古くから西アフリカ内陸の交易網、サハラ縦断交易の重要な交易品のひとつであった。

コーラは単なる嗜好品というだけでなく、西アフリカでは首長や目上の人に対する敬意を表す贈り物として、また宗教儀式の際の供物としても広く用いられてきた、文化的にも重要な作物である。現在でも西アフリカ各地でお盆にコーラの実をのせて売っているのをよく目にする。
コカコーラにコーラナッツのエキスが入っていたということでも有名。


・コンゴ 地理、歴史で言うところのコンゴについて。コンゴ盆地一帯の地域を指す(もしくはもう少し広く、中部アフリカの熱帯雨林地域一帯を意味することもある)。中央部をアフリカ第二の大河コンゴ河(ザイール河)が流れ、深い熱帯雨林に覆われているコンゴ盆地は現在のコンゴ共和国コンゴ民主共和国(旧ザイール)の大部分の面積を占める。

アフリカの地域を大雑把に表す呼称としては他に「スーダン/サヘル地域一帯に相当」、「ギニア/現在のギニア湾岸諸国に相当」、「マグレブ/北アフリカ西部」などがある。

コンゴ(民族) バコンゴ
・コンゴ王国 マニ・コンゴ(コンゴ王)の統治のもと中部アフリカ、現在のコンゴアンゴラ地方を広い範囲にわたり支配した王国(14C〜19C)。15C末に来訪したポルトガル人と友好関係を結び、王自らキリスト教に改宗するほどの友好振りであったが、次第に支配欲を剥き出しにしてきたポルトガルに国を荒らされ、19C末ベルギーによる植民地化により滅亡。王国の担い手であったバコンゴ民族は彫刻の名手としても知られている。全身に釘を打ち付けたNkisiと呼ばれる呪術用彫像、各王の事績をあらわすために彫られた王の彫像などが有名である。
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アフリカの彫像 Nkisi像 バコンゴ


・コンゴ河
(ザイール河)
全長4700km(アフリカ第2位)、流域面積実に369万ku(アフリカ第1位。世界第2位)を誇る大河。数多くの支流が覆うその流域はコンゴ民主共和国(旧ザイール・以下RDC)全土、コンゴ共和国中央アフリカ共和国、ブルンジ、タンザニアザンビアアンゴラに及ぶ。かつては河口地帯に強大なコンゴ王国が栄えた。

アンゴラ、RDC国境で大西洋に注ぐが河口からしばらく入った地域からは滝や急流があり河口から内陸への河川交通を阻んでいる。両コンゴの首都が河を挟んで並ぶ地域から上流は川幅も広くRDC東部の主要都市キサンガニまでは大型船による河川交通も盛んである。熱帯雨林に覆われ道路事情の悪いこの地域では河川交通は地域の住民の生命線ともなっている。

コンゴ河の源流のひとつは白ナイルの源流と実に数十kmほどの距離に位置する。RDC・ウガンダ国境のルウェンゾリ山地に端を発した両大河は4000q以上離れそれぞれ大西洋と地中海に注ぐ。
流域にはバコンゴヨンベバクババルバなどアフリカ屈指の彫刻の名手として知られた民族が多数住んでいる。


・コンゴ-
  キンシャサ
(コンゴ
民主共和国)
旧ザイール。中部アフリカに広大な面積を占める大国。資源大国でもあることがたたり1960年の独立以来何度もの内戦に見舞われてきた。国土の大半を熱帯雨林が占め北部を横断してアフリカ第二の大河コンゴ(ザイール)河が流れる。
主な民族はバコンゴヨンベバルババクバアザンデなど200以上の民族が暮らすといわれている。(森林地帯にはピグミーも居住している。)
この国はバコンゴ(コンゴ)、ヨンベ、バルバ(ルバ)、バクバ(クバ)など世界的に名の知れた彫刻に長けた民族が多数暮らす、アフリカ木彫文化の中心地のひとつである。
コンゴの商品


・コンゴ-
  ブラザビル
(コンゴ
 共和国)
アフリカ中部の国。コンゴ民主共和国とよく間違えられるが別の国。民主共和国との国境をアフリカ第二の大河コンゴ(ザイール)河が流れる。
主な民族はバコンゴヨンベ、サンガ、バンギ、クウェレなど。バコンゴやヨンベは彫刻の名手としても知られている。全身に釘を打ち付けたNkisiと呼ばれる呪術用彫像などが有名である。
コンゴの商品


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