| や |
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・ヤア=
アサンテワア |
1840年〜1921年。アシャンティ連合王国内の一国家エドウェソの王太后。イギリスに対するアシャンティ王国の最後の抵抗戦争を指揮した(ゴールデンストゥール戦争)。
アシャンティ王国は19C後半からイギリスの侵略に悩まされ、数度にわたる戦争を繰り広げてきた。1896年には国王プレンペー一世がイギリスに逮捕されセーシェルに流刑にされるという事件がおき、その時にエドウェソの国王であり、アシャンティ連合王国の閣僚でもあったヤア=アサンテワアの息子も一緒に流刑に処された。
国王不在のアシャンティ王国に派遣されたイギリスの総督ホジソンが1900年3月に、アシャンティ王国の象徴「黄金の床机」を要求したことから引き起こされたイギリスとアシャンティの戦争を率いたのがヤア=アサンテワアであり、一時はイギリス軍を壊滅寸前にまで追い詰めたが半年後には鎮圧され、アサンテワアは逮捕、セーシェルへと流刑に処され(そこで息子と再会した)、同地で1921年に死去した(アシャンティ王国はこの戦争の後、正式にイギリス植民地となった)。
敗れはしたものの、この最後の抵抗戦を率いた王太后ヤア=アサンテワアは民族の英雄として今も人々の間で語り継がれている。
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| ・ヤウレ |
コートジボアール中部に居住するマンデ系農耕民族。バウレとグロにはさまれるような位置に居住しているため、両者から言語的、文化的に強い影響を受けている。そのためヤウレの仮面はバウレやグロのそれと酷似している。
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| ・ヤオ |
アフリカ南東部モザンビーク、マラウィ、タンザニアに居住するバントゥー系民族。もともとはモザンビーク沿岸地方に居住し、アラブ人との交易に従事していた。19C初頭には内陸部への移住をはじめタンザニア、マラウィにも居住するようになった。
アラブ人との交易で得た利益を背景に強力な王国を形成した。
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| ・ヤギ/ヒツジ |
ヤギ(山羊):偶蹄目ウシ科ヤギ属に属する動物の総称。ヒツジ(羊):偶蹄目ウシ科ヤギ亜科に属する動物の総称。食用(肉、乳)家畜であり毛や皮なども毛布、皮革細工などの原料として利用される。
ヤギは約1万年前には西アジアの山岳地帯で家畜化されていたと考えられている。家畜化されたヤギはその後世界中に広がったが、アフリカに入ってきたのは約7,800年前、アラビア半島を経由してエジプトに入ったのが最初と考えられている。
アフリカの遊牧民・牧畜民はラクダ・ウシのほかにも多くのヤギやヒツジの群れを飼っている。ラクダ・ウシなどの大型家畜が食用にされることはあまりないが、ヤギ・ヒツジなどの小型家畜はしばしば食用として用いられ、また農作物との交換(現在では換金家畜として)にも使われる。
アフリカでは綿織物に比べ毛織物を作る民族は少ないが、遊牧・牧畜民族は毛織物を作ることが多く、中でも西アフリカのフルベの作る毛布はKaasaと呼ばれ、遠くガーナの王様なども買い求めるほど西アフリカで好まれている。
農耕民もヤギ・ヒツジの小型家畜を少数飼うことが多く、アフリカの町、村ではどこに行ってもその辺でぶらぶらしているヤギやヒツジを見ることが出来る。北アフリカ、西アフリカなどのイスラムの影響の濃い地域では特にヤギ・ヒツジは重要な食肉である。
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| ・焼畑 |
森林やサバンナを伐採し焼き払った跡にできた土地を耕作地として利用する農法。造成した農地は連作し続けると地力が落ちるため数年で放棄され、また別の土地に火入れをして新しい農地を作る。放棄された農地は休閑地となり地力の回復が図られる。
アフリカの大部分の地域で行われている農法であり、人口があまり多くない場合には有効な農法であるが、昨今の人口増加に伴い、休閑地に十分な回復期間が与えられずに農地が荒廃するという問題が起こってきている。
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| ・ヤシ |
単子葉植物ヤシ科に属する植物の総称で世界中の熱帯、亜熱帯地方に広く分布し、様々な形で利用されている有用植物である。アフリカで利用されているものは、ナツメヤシ、ココヤシ、ラフィアヤシ、アブラヤシ、ウチワヤシ、ドゥームヤシの6種である。
種類によって利用方法の違いはあるが、実は食用、種子の中の液体は飲用、種子の中の果肉は食用、油脂原料、樹液は酒の原料(ヤシ酒)、幹は材木、葉や樹皮は繊維原料、葉はマットや屋根、カゴ、うちわなど(バスケトリー)の材料として利用されるなど、古くから様々な形で人類の暮らしに貢献してきた植物である。
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| ・ヤシ酒 |
ヤシの樹液を発酵させてつくった酒(ヤシの種の中のジュース=ココナッツジュースを発酵させるわけではない)。酸味の中にかすかな甘みと青臭さがあり、時には発泡していることもある。微アルコール性なのでみんなぐびぐび飲んでいる。アルコール度数がいくらくらいなのか訊いてみたところ誰も知らないし気にもしていなかった(酒というのは本来そういうものだったのかもしれない)。
前日にヤシの木に傷をつけたまった樹液を翌朝に集める。樹液が勝手に発酵を始め昼頃には酒として飲めるようになるという。時間が経つにつれ発酵も進むので夕方には幾分強くなっているが発酵が進みすぎると飲めなくなるので基本的に産地の近くでしか飲めないまさに地酒である。
ヤシ酒を蒸留してつくった蒸留酒、さらにそこに薬効のある木の枝や草を漬け込んだ強烈な酒を作ることもある(漬け込む薬草の種類によっていろいろな効能があるらしい)。
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| ・ヤムイモ |
ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属のなかで塊根(芋)を食用とする種の総称。日本の山芋もこの中に含まれる。数多くの種類があり、アフリカ、アジア、南米などで広く栽培されている。
栽培が非常に簡単なこと、栄養価の高いことなどからアフリカやアジアでは古くから食用として栽培され世界最古の農作物の一つといえる。
アフリカでは西、中部アフリカの熱帯地方を中心に広く栽培され揚げたり、茹でたりして食べるほか、ガーナのフフのように餅状にして食べることもある(フフ作りは竪杵を使うところ以外日本の餅つきにそっくり)。
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| ゆ |
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| よ |
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| ・緯織 |
緯織/よこおりとは、経織とは逆に緯糸(よこいと:杼に取り付けられた糸、経糸に開いた杼口に通すことで布が織られていく。通常布の長辺方向に垂直方向に織り込まれる)で経糸(たていと:織機に固定、つまり綜絖に取り付けられた糸。綜絖棒の運動によって杼口が開かれる。通常布の長辺方向に平行に織り込まれる)を覆っていく織り方。布の模様は緯糸で作られ緯縞模様を生み出す。
アフリカでも緯織りの布は盛んに作られている(フルベ布、ジェルマ布、ハウサのルル布など)。 ガーナ、トーゴのケンテ布は経織と緯織の技法を併用し独特の市松模様を作り出している。
アフリカの布
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| ・ヨベ川 |
ナイジェリア中北部ジョス高原を水源とし、チャド湖に注ぐ川。チャド湖水系(海に河口を持たない内陸水系)の一部をなしている。コマドゥグ・ヨベ川とも呼ばれている。
下流域はナイジェリアとニジェールの国境の一部となっている。
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| ・ヨルバ |
ナイジェリア南西部、ベナン、トーゴにかけて居住する人口約3000万を抱える大民族。ヴードゥー教の信者が多い。11C頃からナイジェリア南西部にヨルバ諸国群と呼ばれる国家群を形成してきた。中でも有名な国がイフェ(最初のヨルバ国家)とオヨ(14C〜19C:最大のヨルバ国家)であり、イフェはヨルバ発祥の地として現在も聖地となっている。イフェは写実的な青銅像、テラコッタ像を作ったことでも知られている。
ヨルバをはじめギニア東部(ギニア湾諸国東部:ガーナ、トーゴ、ベナン、ナイジェリア)の森林地帯の民族の造る彫刻(木彫)はスーダンやコンゴの諸民族のものと違い、木を燻さない(黒くしない)、派手な彩色を施す(特に制作年代の新しいもの)、など一風変わった特徴を持っていることが多い。
ヨルバ・エド特集を見る>>
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| ・ヨルバ諸国 |
ナイジェリア南西部、ニジェール河下流域の西に作られたイフェ、オヨ、イバダン、イジェブ、エグバなどのヨルバ人による国家群。最初のヨルバ国家が形成されたのはおそらく11Cのはじめ頃と考えられている。13・14C頃には十数のヨルバ人の王国が形成されたがそれぞれの国は独自の政治組織を持ち、ヨルバ諸国全体としての統一性は小さかった(全ヨルバ諸国はヨルバ発祥の地イフェを宗主国としていた)。
伝承によれば天の神につかわされたオドゥドゥワという王がイフェの地に降臨し全ヨルバ人の始祖になったという。イフェはヨルバ発祥の地としてヨルバ諸国の中でも特権的な地位を与えられすべてのヨルバ国家のオバ(王)はイフェのオニ(王)の子孫とされていた。イフェ王国は国力こそ強くはなかったもののその宗教的地位によって19C末まで存続していた。
ベニンのエド人たちが自らの王を追放し、イフェの王子を自分たちの主君として迎え入れたという逸話からもわかるとおり、ヨルバ諸国は周辺の諸民族に大きな政治的、文化的影響を与えた。
いくつものヨルバ諸国の中から14Cごろに形成されたと思われるオヨという国がハウサ諸国、後にはヨーロッパ勢力との交易による利益で次第に強大になり、18Cにはヨルバランドほぼ全域を支配しさらに西のダホメーにまで勢力を及ぼしていた。内部分裂、北からのフラニ王国の圧迫などで19C半ばから末に崩壊した。
イフェ王国の宮廷美術、つまり有名なイフェの青銅またはテラコッタ製の彫刻はその写実性と完成度の高さにおいて他のアフリカ美術とは一線を画し、その芸術性の高さは世界的に見ても最高の水準に達していると評価されている。最初期にイフェの彫刻をみたヨーロッパ人はその芸術性の高さからアフリカ人が作ったとは信じられず、ギリシャ人か何かが造ったものだと考えたという。無礼極まりない話だが、イフェ美術の完成度の高さを物語るエピソードである。
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| ・ヨンベ |
バヨンベ、マヨンベとも呼ばれ、バコンゴのサブグループと考えられることもある。。コンゴ共和国南西部、コンゴ民主共和国西部からアンゴラ北部にかけて居住する農耕民族。15C頃に現在のガボンのあたりから移住してきたと考えられている。16C頃独自の王国マヨンベ王国を形成した。文化的、歴史的にもバコンゴとの関わりが深くかつてはコンゴ王国の重要な一部をなしていた。
ムバングラという伝説上の祖先の9人の娘がそれぞれの始祖になったという9つの氏族があり、ユルという神話上の土地に住むンゴマ=ブンジという至高神を頂点とする神話・信仰を持つ。
アフリカ美術の宝庫といわれるコンゴ盆地諸民族の中にあっても彫刻の名手として知られていて、写実的な造形の美しいPhembaと呼ばれる母子像や釘・金属片を打ち付けた呪術用彫像Nkisiなどが特に有名である。
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