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まだまだたくさんの写真があります。徐々にアップしていきますので気長にお待ち下さい。

マリマリ
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マリ:メナカにて。上温湯隆氏の記念碑
ガオから東に約250q、マリ共和国の東の端に位置するメナカの町外れに、
ひっそりと一人の日本人の記念碑(墓ではない)がたっている。
1975年、メナカの近くで日本人の遺体が発見された。上温湯隆氏(享年22歳)、モーリタニアからスーダンまで、
人類初のラクダによる単独サハラ横断行7000qの道半ばの悲劇であった。
彼の手記は、死後『サハラに死す』という本にまとめられ、多くの日本人サハラ探検者・旅行者を生み出した
(私も『サハラに死す』だけが原因ではないがやはりそれに触発されサハラに行ったクチ)。


マリ:メナカにて。上温湯隆氏の記念碑
「上温湯隆 TAKASHI KAMIONYU
1952-1975
サハラに懸けた青春の記念碑」


マリ:メナカにて
メナカの町並み。日干し煉瓦の家が建ち並ぶ。もっと小さなオアシス村かと思って訪ねたら
意外にも大きな町(サハラのど真ん中にしてはという意味)だったのでびっくり。


マリ:メナカにて
メナカガオを往復するトラック便のオーナーとその奥さん。ガオとメナカの間の交通手段は貨物トラックのみ。
トラックの荷台の上で強烈な日差しを浴びながらの道行きとなる(順調に行けば10時間くらい)


マリ:サハラの涸れ池
メナカの西数10kmの地点。信じがたいような話しであるが雨季にはここに池ができるという。
確かにこの周りだけ林になっていたし、地面の様子も踏み荒らされたぬかるみが
そのまま固まったように見えるのだが… ウソかホントかは知らないが、
雨季にはここにできる池で魚がとれるとの話し。世界は驚きに満ちている。


マリ:サハラの涸れ池
メナカの西の涸れ池。雨季には大きな池になるらしい。
この時期(四月半ば:乾季の終わりごろか?)にも申し訳程度の水溜りが残っていて
遊牧民が家畜に水を飲ませていた(見難いけど写真中央に遊牧民と家畜が写っています)。


マリ東部
マリ東部ニジェール河沿いの町アンソンゴ。ガオとマリ−ニジェール国境の間で一番大きな町である。


マリ東部
マリ東部町アンソンゴ。ニジェール河の岸辺にて。


マリ東部
アンソンゴとガオの間にて。ただいまトラック(左奥)が故障中。乗客は木陰で一休み。
真ん中に写っているのは同じトラックに乗ってたアラブ人のおっちゃん。
マリもこのあたりに来るとアラブ・トゥアレグなど非黒人系の住民が多くなる。


マリ東部
アンソンゴとガオの間にて。遠くにニジェール河が見える。


マリ東部
アンソンゴとガオの間にある村。日干しレンガ造りの家と(方形の建物)と半球状のテントが混在している。


マリ東部
アンソンゴとガオの間。赤茶けた乾いた大地を貫いて悠々と流れるニジェール河


マリ:ガオの大モスク。アスキア=ムハンマド大帝の墓稜でもある
かつてのソンガイ帝国の都ガオの大モスク。ソンガイ帝国の英雄アスキア=ムハンマド大帝の墓稜でもある。
15Cに建立されたこのモスクは改修、改築を繰り返しこの形になった。
(現在はまた少し違った形になっているかもしれない)


マリ:ガオの大モスク
ガオの大モスク敷地内にある墓。


マリ:ガオの街並み
ガオの大モスクのミナレット上からガオの街並みをのぞむ。日干し煉瓦で造った家の敷地内に
半球型のテント状の住まいがいくつも設営されているのが見える。



マリ:ガオの街並み
ガオの大モスクのミナレット上から眺めたガオの街並み。ニジェール河のむこうには沙漠が広がっている。
ニジェール河のほとりに位置するガオはトンブクトゥ同様、サハラ縦断交易路とニジェール河水上交易路の
接点に位置する交易都市として古代から重要な位置を占めていた。


マリ:ガオの街並み
ガオの大モスクのミナレット上から眺めたガオの街並み。
画面左奥にぼんやりと写っているのはこのあたりで最大の砂丘。


マリ:ガオの大モスク
マリ東部に位置するかつてのソンガイ帝国の都ガオの大モスク。
1300年以上の歴史を持つ古くからの交易都市でありサハラの北と南を結ぶ
サハラ縦断交易の一大拠点として繁栄した。


マリ:ガオ
ソンガイ帝国の都ガオにて。画面中央奥、ニジェール河の対岸にかすんで見えるのがマリ最大の砂丘。


マリ:ガオ
ガオにて。ニジェール河で洗濯、水浴する人々。河原はごみだらけ、水もけしてきれいとはいえないんだけど…


マリ:ガオ
ニジェール河で洗濯、水浴する人々。


マリ:ガオ
ガオにて。ニジェール河の夕暮れ。


マリ:ガオ
マリ東部の街ガオ。居候させてもらった家の人たち。


マリ:ガオの渡し
ガオの渡し場。ガオはニジェール河の北岸に位置し、マリ中部、東部への道路は南岸にあるため
バスやトラックはフェリーに乗って河を渡る。
もちろん小さな手漕ぎの木造船も健在。人々の生活の足として現在も活躍している。


マリ:ガオの渡し
ガオニジェール河の渡し場。大型バス数台と鈴なりになった人で今にも転覆しそうに見える。


マリ:ガオの渡し
ガオニジェール河を渡るフェリー船上にて。ガオで居候させてもらった一家が
セグーに行くというのでモプティまでご一緒した。


マリ:ホンボリの岩山
マリ東部ホンボリにて。マリでは有名なホンボリの岩山はその独特の形から
「ファティマの手」とも呼ばれている。


マリ:ニジェール河大氾濫原
飛行機の窓から眺めた乾季のニジェール河大氾濫原。あちこちに干上がった川筋が見える。


マリ:トンブクトゥの街並み
民家の屋上からトンブクトゥの街並みをのぞむ。
華やかな歴史に彩られたかつてのサハラ交易の中心都市トンブクトゥ。
砂漠化の波にさらされ、マリソンガイの黄金時代に建てられた三大モスクだけが
古の栄光の面影をとどめている。


マリ:トンブクトゥの街並み
民家の屋上から見たトンブクトゥの街並み。砂色をした街の外には荒涼としたサハラ沙漠が広がっている


マリ:トンブクトゥの街並み
トンブクトゥの街並み。今でもほとんどの建物が伝統的な日干し煉瓦で造られている。


マリ:トンブクトゥのルネ=カイエの家
トンブクトゥに辿り着き、生きて帰った最初のヨーロッパ人
ルネ=カイエが滞在していた家(1828年)。


マリ:トンブクトゥのルネ=カイエの家
カイエの家の前で。カイエの家には今も地元の人が住んでいる。この家の子供たちかな?


マリ:トンブクトゥのシディ=ヤヒヤモスク
黄金の都トンブクトゥの三大モスクのひとつ、シディ=ヤヒヤモスク。
一日五回、スピーカーから大音量のアザーン(礼拝への呼びかけ)が鳴り響く。
手前につんである泥は補修用の土のストックか?


マリ:トンブクトゥのジンゲルべリモスク
黄金の都トンブクトゥの三大モスクのひとつ、ジンゲルべリモスク。


マリ:トンブクトゥのサンコレモスク
黄金の都トンブクトゥの三大モスクのひとつ、サンコレモスク。
いずれのモスクもマリソンガイ帝国の時代に建てられ、
補修、建て替えなどを経て現在まで続いている。


マリ:トンブクトゥのサンコレモスク
トンブクトゥの三大モスクのひとつ、サンコレモスク。トンブクトゥの三大モスクはいずれも
イスラム学校(大学)を併設し西アフリカ一の学問都市トンブクトゥの栄光を担っていた。


マリ:トンブクトゥの名前の由来となったブクトゥの井戸
昔々、街が洪水に見舞われた時にブクトゥという娘を生贄として捧げたと伝えられている井戸。
トンブクトゥという街の名前はこのブクトゥに由来する。



マリ:トンブクトゥ
トンブクトゥの街外れ。ラクダが昼寝しています。アフリカに行くたびに思うけど
街中で適当に家畜を放しておいて、よくノラらくだやノラひつじににならないもんだ。


マリ:トンブクトゥ
トンブクトゥ。80年代後半から90年代半ばに蜂起した
トゥアレグ人分離独立派との和解記念碑(1996に和解成立)。



マリ:トンブクトゥ
トンブクトゥの街並み。沙漠と同じ色をした日干し煉瓦の家が立ち並ぶ。写真手前のくぼ地は
かつての運河跡。2、30年前まではニジェール河からトンブクトゥまで運河がひかれていたが
砂漠化の影響で干上がってしまった。


マリ:コリウメの港
ニジェール河からトンブクトゥまでの運河(20kmくらい)が干上がってしまったため現在トンブクトゥの
港町の役をになっている町コリウメ。モプティ方面へ向かう車を渡すフェリーの発着場でもある
(手前左と奥に見える鉄板船がフェリー。トレーラートラックも運ぶことができる)。


マリ:コリウメの船着場
コリウメの船着場にて。15時に出るといわれた船が実際に出たのが22時だったんでびっくらこいた。
てっきり次の朝か昼になると思ってたから・・・


マリ:ディレの港
トンブクトゥから60kmほど上流の港町ディレ。ピナス(船)の屋根にバイクを引っ張り上げているところ。


マリ:ニジェール河のピナス
ニジェール河を航行する木造船ピナス。大きいものは全長40mにもなる。
現在もマリおよびニジェール河流域の物流の重要な担い手である。


マリ:ニジェール河の帆船
ニジェール河を帆走する帆船。現在ではモーター付きの舟が広く普及しているが、
漁、近場の運送にはまだまだ帆船や手漕ぎ船が活躍している。


マリ:グンダム
トンブクトゥから数10km上流の町グンダムの夕暮れ。


マリ:ニジェール河のピナス船上にて
ニジェール河を行きかう船の船尾にて。画面下にあいている穴は多目的に使用される。
炊事の水汲み、洗面所として使われるが便所穴としても使われる。まあ船は動いているし
穴の下の水も常に流れているわけなんで、あまり深く考えなければ気にはならない。
「流れる水は清らか」、このことわざのありがたみをこのときほど噛み締めたことはなかった。


マリ:フルベの牛の群れ
ニジェール河の川辺でのんびりと草をはむ牧畜民フルベの牛の群れ。


マリ:ニジェール河畔の村
ニジェール河沿いの小村。たぶん漁労民ボゾの集落。


マリ:ニジェール河畔の村
ニジェール河沿い。比較的大きな村(町?)。日干し煉瓦の家が建ち並ぶ。


マリ:ニジェール河畔の村
ニジェール河沿いの村。まともな陸路が通じていないことも多い
この地域の村や町にとって船は重要な交通・運送手段である。


マリ:ニジェール河畔の村のモスク
ニジェール河沿いの村のモスク(スーダン様式)。川辺では女性たちが洗濯に精を出している。西アフリカでは
家事としての洗濯は当然?女性の仕事だが職業としての洗濯屋は男性の仕事であることが多い。


マリ:ニジェール河の夕焼け
ニジェール河の夕日、あれっ、朝焼けだっけ?う〜ん、たぶん夕焼け。
なかなかうまい夕焼けの写真ってのはとれないもんですね。


マリ:ニジェール河のピナス船上にて
ピナス(エンジン付き木造船)船尾の屋根の上にて。
ニジェール河を航行するピナスの船員たち。優雅な?船旅の愉快な道連れ。


マリ:ニジェール河のピナス船上にて
トンブクトゥ-モプティ間のピナス(エンジン付き木造船)の船尾の屋根の上にて。
乗組員と一緒に晩御飯。真っ暗なのでヘッドランプを消すと闇ナベ状態。
この日の晩飯は炊き込みご飯。結構うまかった。


マリ:ニジェール河を航行するピナス
ニジェール河を航行するピナス(エンジン付き木造船)。船内にも屋根の上にも人と荷物がぎっしり。
ニジェール河水運はマリの交通・運送の大動脈だ。


マリ:ニジェール河畔の村
ニジェール河沿いのボゾの村。小船に乗っての漁から帰ってきた漁師たち。


マリ:ニジェール河畔の村
マリ共和国ニジェール河河畔の漁村。サヘル地帯を貫いて流れるアフリカ第三の
大河ニジェール河はこの地域の人々にとってまさに命の源。


マリ:ニジェール河
ニジェール河にて。漁や近場への交通・運送には手漕ぎの船も現役で活躍している。


マリ:ニジェール河河畔の牛の群れ
ニジェール河河畔を移動するフルベ人の群れ。ニジェール河は
農民や漁労民にとってだけでなく、牧畜・遊牧民にとっても貴重な水源だ。


マリ:ニジェール河河畔の村
ニジェール河河畔の村。ヤシの緑と日干し煉瓦の色の対比が美しい。


マリ:ニジェール河の少年漁師
ニジェール河にて。小船で網漁をする少年。水辺の住人たちは小さな子供でも上手に船を操る。
この角度からだとわかりづらいけどよくあんなに幅の狭いバランス悪そうな船の船尾で立ち上がって
作業できるなと感心しきり。


マリ:ニジェール河沿いの村
ニジェール河河畔の小村。洗濯する女性たちと船の手入れをする男たち。


マリ:ニジェール河沿いの村
ニジェール河沿いの村にて。ビニールシートの帆を揚げた小型帆船。現在ではエンジンつきの
大型船が水運の中心だが小型の帆船もまだまだ現役で活躍している。


マリ:ニジェール河沿いの村
ニジェール河沿いのたぶんボゾの村。河は巨大な水道であり、洗い場であり、風呂であり、トイレでもある。


マリ:ニジェール河沿いの村
ニジェール河沿いの村に帰るの群れ。


マリ:ニジェール河
ニジェール河を行く船の屋根から撮影。


マリ:ニジェール河沿いの村
ニジェール河沿いの村。というかたぶん季節限定の集落か?
こんな小さな集落にしてはやけに多くの船と人がいた。


マリ:ニジェール河沿いの村
ニジェール河沿いの村。季節限定の地域の交易所かなんかなのかな?
やけに多くの人と船が集まっていた。


マリ:ニジェール河
ニジェール河沿いにて。ピローグ(小型木造船)に乗り農作業?をする人々。


マリ:ニジェール河沿いの泥モスク
ニジェール河河畔の村のモスク。この日干し煉瓦で作った独特の建築様式(スーダン様式と呼ばれる)
のモスクはニジェールからマリサヘル地帯でよく目にすることが出来る。
マリはジェンネの大モスクは世界最大のスーダン様式モスクであり、世界遺産にも指定されている。


マリ:ニジェール河の夕日
ニジェール河の夕暮れ。航跡の残る水面に日が沈む。何度も言うようだけど
これは河です。湖や海じゃありません。


マリ:ニジェール河を行く船上にて
ニジェール河モプティトンブクトゥ間のピナス(エンジン付き大型木造船)船上にて。
フルベの少女たち。


マリ:ニジェール河沿いの村
ニジェール河沿いの村。河べりで洗い物や洗濯をする女性たち。


マリ:ニジェール河畔の村
ニジェール河河畔の村。少し見えづらいけど、・杵、ひょうたんが見えます。食事の支度でしょうか?


マリ:ニジェール河畔の村
ニジェール河河畔の村にて。ピナス(船)からの荷降ろし。小さな子供も手伝っています。



ニジェール河沿いの港町モプティの街外れ。このあたりには中・小型船が停泊している。



ニジェール河沿いの港町モプティ。エンジンつきの大型木造船ピナスがずらりと並んでいる。
モプティはマリの水運、陸運の一大中継地。ニジェール河を船で運ばれてきた荷はここで陸路へ、
トラックでマリ各地から運ばれてきた荷はここで船へと積みかえられる。


マリ:ニジェール河水運の中心地モプティ
モプティの船着場。発動機つきの木造船(ピナス)がニジェール河水運の主役。ピナスはモプティ-トンブクトゥ間を
3〜5日で航行する。対岸にぼんやりと見えるのはニジェール河の漁労民ボゾの村。モプティはドゴン
村を訪れるツアーの基地としても有名。この街では自称ガイドに声をかけられずに50mと歩くことができない。


マリ:ニジェール河水運の中心地モプティ
モプティマリニジェール河水運、陸上交通の要衝。トラックから船へ、船からトラックへと
人も荷物も忙しく行き来する、活気にあふれる港町だ。ちょっとわかりにくいけど人ごみの
後ろに見えるのが船。たぶん荷物を積み込んで出港を待っているところ。


マリ:ニジェール河水運の中心地モプティ
ニジェール河沿いモプティの港。
ニジェール河を往き来する荷物、人の多くがこの街を経由する、活気に溢れる港街。


マリ:モプティにて。アフリカントラック野郎
モプティの港にて。トラックの運ちゃんたち。トラックの下の日陰でランチタイム。
「チュバブ(外人さん)、食ってけよ。」というので私もご相伴に預かった。


マリ:ニジェール河水運の中心地モプティ
ニジェール河の港街モプティ。川沿いに市場が細長く伸びている。


マリ:モプティの大モスク
ニジェール河中流域の港町モプティ。池越しにモプティの大モスクとメディナ(旧市街)を望む。
青い空に日干し煉瓦の街並みがよく映えている。


マリ:モプティの大モスク
メディナ(旧市街)にそびえるモプティの大モスク。
日干し煉瓦で造ったスーダン様式のモスクサヘルの景色とよく調和している。


マリ:モプティ旧市街の市場
モプティのメディナ(旧市街)の市場。時期は四月末。強烈な暑さと日差しのせいか閑散としている。


マリ:モプティ旧市街にて
モプティのメディナ(旧市街)にて。何かお祝い事があったのか道端で
楽士(コラやらバラフォンやら笛太鼓やら)が音楽を奏で、オバちゃんたちが踊りまくってた。


マリ:ジェンネ旧市街
ニジェール河の支流バニ川に浮かぶ中州の島ジェンネは古代から栄えた交易都市。
民家の屋上からジェンネの大モスクの裏手が見える。


マリ:ジェンネ旧市街
ジェンネ旧市街の民家の屋上にて。日干しレンガで造られた伝統的な家が建ち並ぶ。
屋上同士がつながっているため、屋根伝いに街のあちこちへ行くことができる。


マリ:ジェンネ旧市街
ジェンネ旧市街の民家の屋上にて。この地域の家は中庭を囲ってロの字型に建物が建てられている。
平屋だけでなく2階建ての家も結構多い。


マリ:ジェンネ
ジェンネにて。毎週月曜の大市に集まった人々。月曜の朝はジェンネのそこかしこで、
大荷物を抱えた人たちが忙しそうに行き交い、市の準備をしている。


マリ:ジェンネの大モスク
世界最大の日干し煉瓦のモスク(スーダン様式モスク)であるジェンネの大モスク。
モスク前の広場は月曜ごとの大市のメイン会場だ。ただいま市の準備中。
この日はあいにくの雨模様だったの即席の雨よけテントを張っている。


マリ:ジェンネの大モスク
ジェンネの大モスク前広場。月曜の大市の準備中。


マリ:ジェンネ
ジェンネの大モスク前広場。あいにくの雨模様の中
大荷物を積んだトラックが何台も到着し荷を降ろしていく。


マリ:ジェンネ
月曜日のジェンネ。週に一度の大市の開かれるこの日は
メイン会場の大モスク前広場だけでなく、町のあちこちで様々なものが売り買いされる。


マリ:ジェンネ
色とりどりの服をきてジェンネの月曜市に集まった女性たち。


マリ:ジェンネ
ジェンネにて。頭の上に大量の荷物を積んでいる女性。姿勢の悪い日本人としては頭の上に物を載せて
運ぶだけでも驚きであるが、アフリカの女性たちは時に40kgくらいの荷物を頭に載せて
平気な顔をして歩いている。


マリ:ジェンネ
ジェンネ新市街。この日は昼過ぎまで小雨が降っていたが
どの通りも月曜市の人出でにぎわっている。


マリ:ジェンネの大市
ジェンネの大市。近くの町、村、キャンプ、遠くの都会から様々な民族が
様々なものを売りに、買いにやってくる。
普段は閑散としているジェンネの町も毎週月曜には市の客でごったがえす。


マリ:ジェンネ旧市街

ジェンネ旧市街の路地。住む人がいなくなり、手入れをされないまま放置された日干し煉瓦の建物は
あっという間に朽ち果て、土に返ってしまう。


マリ:ジェンネの大モスク
大モスクの前にたたずむ老ムスリム。物思いに沈むその表情は
どこか厳粛な雰囲気をたたえている。


マリ:ジェンネの大モスク
ジェンネの大モスク前の広場。毎月曜日に大市が開かれ、大いに賑わう。
泥のモスクの前を色鮮やかな服を着た人々が行きかう。


マリ:ジェンネ
月曜日のジェンネ。普段はひっそりとしているジェンネの町もこの日は市場に訪れた人々で溢れかえリ、
そこかしこから威勢のいい取り引きの声が聞こえてくる。


マリ:ジェンネの大市
ジェンネの大市。バンバラ、ミニャンカ、ドゴンなどは農産物を、ボゾは魚を、フルベは乳製品などを売りに来る。
市は単なる商取引の場というだけでなく、重要な地域の社交の場でもある。威勢のいい取引きの声に混じって
あちこちからおしゃべりに興じる人たちの声が聞こえてくる(アフリカの人は女も男もおしゃべりが大好きだ。
女も男も本当に表情豊かにおしゃべりを楽しんでいる)。


マリ:ジェンネの大モスク
ジェンネ。朝日を浴びて輝くジェンネの大モスク。世界最大のスーダン様式モスクであり大モスクを含む
ジェンネ旧市街は世界遺産に登録されている。昔はモスク内に異教徒(非ムスリム)も入れたそうだが、
アメリカかヨーロッパの無神経な(商業誌の)カメラマンがモスク内でセミヌードの女性の写真を
撮ったために異教徒立ち入り禁止になってしまったらしい。


マリ:ジェンネの街並み
ジェンネの街並み。ジェンネはニジェール河の支流バニ河に浮かぶ中州の島で、
本土とは一本の橋でつながっている。


マリ:ジェンネ
ニジェール河の支流バニ河に浮かぶ中州の島ジェンネ。この時期は雨季の終わりで
一年でもっとも河の水量の多い時期。。家の間近まで水が迫っている。


マリ:ジェンネ
ジェンネニジェール河の支流バニ河に浮かぶ中州の島で、車が出入りできる橋はあるものの、
舟は重要な交通手段。島の沿岸には大小さまざまな船が係留されている。


マリ:ニジェール河の渡し
ニジェール河の支流バニ河の渡し場(ジェンネへ通じる道の途中)。鉄板船に車ごと乗り込み河を渡る。


マリ:セグー
かつてのバンバラ帝国(セグー王国)の都セグーにて。一晩泊めてくれた親切なおっちゃん
(真ん中奥の深緑の長衣)とその一族郎党。


マリ:セグー
セグーにて。赤ん坊とお母さん?お姉さん?はたまた親戚のお姉さん? アフリカでは大家族制が健在。
ひとつの家に10人、20人が住んでいることも珍しくなく、誰が誰とどういう関係なのかややこしい。


マリ:セグー
セグーにて。この娘達も姉妹なのか親戚なのか、それとも近所の友達なのか?


マリ:セグー
セグー。ニジェール河河畔の畑。乾季で水がひいた土地を利用して作物を育てている。


マリ:セグー
セグー。一晩泊めてもらった家にて。写真を撮ってくれといわれてカメラを出したとたん
家中の人がどっと集まってきた。


マリ:セグー
セグーにて。居候先の家の娘さんたち。観光客に無断で写真を撮られるのを嫌う人が多いが、
一度うちとけると今度はこっちがびっくりするほどの写真好きに変身する。


マリ:セグーの子供たち
古のセグー王国(バンバラ帝国)の都セグーにて。一人のちびっ子がやってきて
「チュバブ、フォト!!(外人さん写真とって)」
カメラを出したとたんにその辺にいた他の子供たちがわらわらと集まってきた。


マリ:セグーの子供たち
セグー。カメラを向けるとみんな眼をきらきらさせて笑い出す(おチビ一人だけ仏頂面だけど・・・)。
後ろで似たようなポーズで似たような顔で笑ってる二人組は兄弟だろうか?


マリ:セグーの港
セグーの港。ニジェール河に面した町セグーは多くの船が行きかう河川交通の要衝でもある。


マリ:セグーの市場
セグーの市場にて。布屋のおじさんたち。


マリ:セグーの市場
セグーの市場。小さな地元密着型の市場。


マリ:セグー
古のセグー王国(バンバラ帝国)の都セグーにて。いくらひょうたんが軽いからって
いってそんなに山積みにしたら車がひっくり返るぞ。事実危なっかしく傾いているし。


マリ:セグー
古のセグー王国(バンバラ帝国)の都セグーにて。ニジェール河に沈む夕日。
ニジェール河に面したこの街はマリの内陸水運の重要な港町でもある。


マリ:セグー
ニジェール河沿いの町セグーにて。夕焼け空の下で漁を続ける漁師。



ニジェール河沿いの町セグーにて。夕焼け空の下で漁を続ける漁師。



マリ中部ニジェール河沿いの町セグーにて。夕日に照らされるニジェール河。



マリ中部ニジェール河沿いの町セグーにて。川沿いの住宅地。



マリ中部ニジェール河沿いの町セグーにて。
町外れのバスターミナルでブルキナファソ行きのバスを待っているところ。



マリ中部ニジェール河沿いの町セグーにて。町外れのバスターミナルでブルキナファソ行きの
バスを待っているところ。荷台付きトライクが行き交う横をロバ車がのんびり歩いていく。



マリ中部ニジェール河沿いの町セグーにて。町外れのバスターミナルでブルキナファソ行きのバスを
待っているところ。こういうところには必ず食い物屋があり、食い物屋があるところには余り物を期待して空き缶の
容器をぶら下げた子供達が集まることが多い。マラブー(イスラムの導師)の元での修行の一環だという話。


マリ:シカソのバスターミナル
首都バマコから南東に約300q。ブルキナファソコートジボワールとの国境に程近い町シカソ。
バスターミナルには今日も車が一杯。満員になった車から出発していく。


マリ:バマコの落花生売り
マリの首都バマコにて。ホテルの前で落花生を売るお母さん。その場で炒ってくれるので辺りには
香ばしいピーナツの香りが漂っている。マリの隣国セネガルは世界一の落花生生産国。収穫シーズンに
なると冗談としか思えないほど大量の落花生を積んだトラックがよたよたと走っているのをよく見かける。
(アフリカには過積載という概念は無きに等しい)


マリ:バマコ
マリの首都バマコの中心部。郊外から街の中心部へつくドゥルニ(ミニバス)の終点。
道端では本当にいろんなものを売っているが俺のお気に入りは羊の串焼き。
ミニバスを降り、串焼きをかじりながら街中をぶらぶらする。


マリ:バマコ
マリの首都バマコにて。わりと中心部近くの下町のような地区なんだけど、
そう広くもない路地をつながれてもいない牛がぞろぞろ歩いていた。


マリ:バマコ
マリの首都バマコにて。下町地区の路地を歩く牛の群れ。写真中央の帽子の男性が
この群れを管理しているフルベ人の牛飼い。狭い路地をこんなにたくさんの牛が歩くもんだから
この写真を撮っていて危うく牛に足を踏まれそうになった。


マリ:バマコ
マリの首都バマコのギャラリーにて。毛織物で名高い牧畜民フルベ染織工芸の最高傑作アルキラ。


セネガル-マリ国際鉄道
ダカール(セネガル)-バマコ(マリ)を週に二度往復する国際列車の車内にて。
二等車は6人がけのコンパートメント。全員見ず知らずの他人のはずだが、
途中だれかが買い食いするたびにコンパートメント内の人全員におすそ分けしていた。


セネガル-マリ国際鉄道
ダカール(セネガル)-バマコ(マリ)を週に二度往復する国際列車の車内にて。
列車にはいろんな人が乗っている。セネガルとマリを往復する行商のおばちゃんたちも
たくさん乗っていて車内は人と荷物でごった返している。


セネガル-マリ国際鉄道
マリ側の出入国管理局のあるカイ駅。暑いマリの中でもカイは月間平均最高気温が40℃以上の月が
年間12ヶ月中実に6ヶ月という酷暑の地。


セネガル-マリ国際鉄道
ダカール(セネガル)-バマコ(マリ)を週に二度往復する国際列車の車窓から。
時刻表の上では24時間くらいでバマコへ到着することになっていルこの列車だが
実際の所要時間は約40時間。それも途中で故障や線路の破損がなければの話。
時間通りに着くことはまずありえないのに分単位まで明記された時刻表があるのがご愛嬌。


セネガル-マリ国際鉄道
セネガルマリを結ぶ鉄道沿いの村。サヘルのほとんどの地域では乾季には雨は一滴も降らない。
女性や子供たちが数q(時には10q以上)離れた井戸まで水を汲みに行くこともざらである。


セネガル-マリ国際鉄道
セネガルマリを結ぶ鉄道沿いの村。この写真は雨季に撮った。上の写真とだいたい
同じ地域にある村だが雨季と乾季でのこの違いよう。乾季にはからっからに乾いていた
真っ赤な大地が緑に多い尽くされている。雨(水)の力は偉大なものである。


セネガル-マリ国際鉄道
セネガルマリを結ぶ鉄道。マリ領内にある小さな駅にて(列車の反対側に駅舎がある)。
列車が止まるたびに水や食べ物の売り子が大挙して押し寄せる。
買い食いは列車の旅の楽しみの一つ。みんな焼き肉やら何やらを買い込んで
同じコンパートメントの人たちと分け合って一緒に食べる。


セネガル-マリ国際鉄道
セネガル-マリを結ぶ列車の車窓から。これは乾季に撮った写真。緑に覆われていた上の写真とは
うって変わって赤茶けた大地が地平線まで広がっている。


セネガル-マリ国際鉄道
セネガル-マリを結ぶ列車の車内にて。同じコンパートメント(二等)に乗り合わせた人たち。
ちなみに二等車には冷房なんていう気の効いたものはついていない(一等車にはついているがよく故障する)。
窓からの風が入るとはいえ昼間はともかく暑いのでうちわは必需品。駅には必ずうちわの売り子がいるほどである。


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