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エチオピア特集は終了しました








古代から現代に至るまで連綿と続くアフリカ最古の国エチオピア。

民族の博物館とも言われるエチオピアの多様性に富んだ工芸文化をご紹介します。

岩を掘りぬいて建造した聖ギョルギス教会:エチオピア中部ラリベラ 過去の特集を見る>>

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〜エチオピアとは?〜
アクスムのオベリスク:エチオピア エチオピア(正式名称:エチオピア連邦民主共和国)は東アフリカ北東部内陸に位置する国であり面積113万ku(世界27位、アフリカでは10位)、人口1億(世界13位、アフリカでは2位)を擁する地域大国である。北はスーダンエリトリアジブティ、東はソマリア(及びソマリランド)、南はケニア、西は南スーダンと国境を接している。1993年のエリトリア分離独立に伴い海岸線を失い内陸国となった。

国土の大部分を高原地帯が占めるがアファール盆地ダナキル沙漠)、南東部のソマリ州などの低地(乾燥地帯)もある。アファール盆地から南西に国土を二分するような形でアフリカ大地溝帯が走っている。

高原地帯は標高のため低緯度地帯にありながら気候は温暖または高度によっては冷涼。降水量も多いため植生も豊富である。北西部にあるタナ湖青ナイルの源流として知られている。

主な民族はアムハラ(エチオピア北部・中部)・オロモ(中部・南部)・ティグレ(北部)・シダモ(南部)・ソマリ(東部)・アファール(北東部)など。南西部には様々な少数民族が多数居住するが特異な身体変工の習慣を持つムルシなどがよく知られている。民族の博物館とも言われることもあり様々な系統の民族、宗教が存在する。主な宗教は中心。カトリック、プロテスタントもいる)、イスラム、固有の民族宗教など。エチオピア人ユダヤ教徒(ファラシャ)も少数存在する。

*写真:古代アクスム王国の都アクスムにて。高さ20m以上にも及ぶ一枚岩のオベリスクが屹立する

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〜エチオピアの歴史〜
 エチオピアは建国のいきさつこそ神話・伝説の世界であるが、サハラ以南のアフリカの中では例外的に古代からの歴史資料が多く残されている。エチオピアの建国伝説によれば古代イスラエルのソロモン王と彼のもとを訪ねた南イエメンの女王マケダ(シバの女王)の間に生まれた子:メネリク(一世)がエチオピアを建国したとされている。メネリクが父ソロモン王の下を去る時にモーセの十戒を刻んだ石板とそれを収めた聖櫃(いわゆる失われたアーク)をエチオピアに持ち帰ったといい、その聖櫃は現在もアクスムの教会に保管されているといわれている。

 現在判明している限りではエチオピア最古の王国は1世紀ごろに歴史に登場するアクスム王国である。現在も同名の町がエチオピア最北地域にあるがその町:アクスムを中心としたこの王国はナイル紅海を通じて地中海貿易圏やインド洋貿易圏に属しアフリカ内陸部の産品(金、象牙、香料、奴隷など)の輸出で栄えた。現在もアクスムに残る巨石モニュメント(オベリスク)ヤ石造の地下墳墓はアクスム王国の繁栄・技術力の高さを今に物語っている。

 アクスム王国について特筆すべきは3世紀前半エザナ王の治世にローマに先駆けてキリスト教エチオピア正教)を国教としたことであろう。このことからエチオピアはアルメニア・ジョージア(グルジア)と並び世界最古のキリスト教国と呼ばれている。7、8世紀ごろになると紅海対岸のアラビア半島全域がイスラム勢力下に入ったため紅海を通した交易から締め出されアクスム王国は徐々に衰退していった。

ゴンダールの城郭群:エチオピア アクスム王国は1137年頃にアガウ人によるザグウェ朝に取って代わられた。結果としてエチオピアの中心部はアクスムから南方へ遷都した。この王朝の王ラリベラの治世に岩盤を掘削して作った教会群(ラリベラの岩窟教会)はイスラム勢力にエルサレムへの巡礼路をふさがれたため、第二のエルサレムとして建造されたものであり現在もエチオピア正教徒の巡礼の地として信仰を集めているだけでなく世界遺産として世界中から観光客が訪れる。

 1270年にはショア出身のイェノク=アムラクがザグウェ朝を滅ぼし新王朝をうちたてた。イェノクはアクスム王国の末裔を自称し自らの王朝をメネリク一世にさかのぼるソロモン王朝を復興したものと位置づけた。14世紀にはアムダ・セヨン王のもと領土を拡大、16世紀からにはイスラム勢力の伸張により戦乱が続いた。イスラム勢力にはオスマン帝国が、キリスト教勢力にはポルトガルが援助をした結果キリスト教勢力の勝利に終わった。その後ファシリダス王(在位1632−1667 新都ゴンダールの建造で知られている)による中興などはあったものの、王権の低下、オロモ人の侵攻およびエチオピア王国内での勢力化などが進行し1769年〜1855年まで各地に小王国化した勢力が乱立する戦国時代へと突入して行った。

*写真:エチオピア帝国の旧都ゴンダール。石造りの宮殿が立ち並ぶ。

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 長く続いた分裂時代に終止符を打ったのがテオドロス二世である。エチオピア再統一を果たし近代化への第一歩を踏み出したテオドロス二世であったが1868年にイギリスとの戦いに敗れ自死。二代のちのメネリク二世(在位1889−1913)は列強によるアフリカ分割の時代に独立を守り抜き近代エチオピア帝国の基礎を築いた(現在の首都アジスアベバもメネリク二世による建都)。特にエチオピア侵攻を目指したイタリア軍を大破したアドワの戦い(1896年)はカルタゴハンニバル以来のヨーロッパに対するアフリカの勝利ともいわれ戦に勝利した3月2日は祝日となっている。

ゴンダールの教会の壁画:エチオピア メネリク二世の二代のちの女帝ザウディトゥの時代に摂政兼皇太子となったラス=タファリ=マコンネンは1930年にハイレ=セラシエ一世としてエチオピア帝国皇帝に即位した。予断ながら彼の前名がラスタファリズムという名称の由来となっている。イタリアによるエチオピア占領(1936〜1941年)をはさみ1974年まで続いたハイレセラシエの治世は帝国の近代化、国際社会への参画、アフリカ統一機構設立への貢献および本部のアジスアベバへの誘致など対外的には成果を出したものの内政は中世からの半封建制が残り、結果として74年のエチオピア革命を招いた。革命により廃位されたハイレ=セラシエはその後処刑された。

 革命政権中の権力闘争の勝利者メンギスツはその後1991年に反政府勢力に敗れ亡命するまでエチオピアに独裁をしいた。1991年には反政府武装勢力が全土を制圧。1993年にはエリトリアが分離独立。第二次大戦後イギリス暫定統治下にあったエリトリアは1952年エチオピアと連邦を結成するがエチオピアは62年にエリトリアを併合。エリトリア独立を目指す武装勢力EPLFがエチオピアのメンギスツ独裁政権打倒に大きな役割を果たしたこともあり独裁崩壊後の93年にエリトリアは平和裏にエチオピアから分離独立した。5年後の98年国境紛争から大規模な交戦に発展し双方で10万人の死者が出たとも言われるエチオピア・エリトリア戦争が勃発。2000年の停戦合意後も緊張状態が続いていたが2018年に国交を回復した。

 1995年から現行憲法のもと現国名のエチオピア連邦共和国となった。

*二千年に及ぶエチオピアの歴史を駆け足で見てきたが本稿の記述は主に日本で(おそらく世界のほかの地域でも)資料が手に入りやすい北部のアムハラ中心のエチオピア史に基づくものである。オロモをはじめとする他の民族にももちろん彼らの歴史・文化がある。しかしながらそれらをそれらを包括したエチオピア史を理解しさらに概説するには、筆者はあまりに力不足であった。反省。

*写真:エチオピア帝国旧都ゴンダールのダブラ・ブラハン・セラシエ教会。壁・天井に所狭しと聖画が描かれている。

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〜エチオピアの工芸〜
アジスアベバの骨董屋:エチオピア エチオピアの工芸文化の華といえばやはり、初期キリスト教の面影を色濃く残すエチオピア正教を華やかに彩る宗教芸術であろう。教会建築に関してはこの項では触れないが教会内部を彩るイコン(聖画)や板や皮に描くイコンはエチオピアで独自の発展を遂げてきた。さらに宗教関連で忘れてはならないのがこれもまたエチオピアで独自に発展してきた十字架である。「マスカル」と呼ばれるエチオピア正教の十字架は実にさまざまな形があり、時代や地域、教会によってそれこそ数え切れないほどのデザインが生み出され、高度な金銀工芸へと発展していった。

 ナタラと呼ばれる薄織りのショールも礼拝の衣装として用いられる他、司祭たちのもちいる衣装や日傘に施された豪奢な刺繍など染織工芸に関しても正教の影響が色濃く見られる。もちろんムスリムをはじめとする他宗教の民族も様々な宗教工芸文化を育んできたが紙幅の都合と(主に)筆者の知識不足によりこの項では触れない。

 他の多くのアフリカの国では工芸文化を語る際に真っ先に挙げられるのが仮面・彫像などの木彫りであるがエチオピアでは一部の少数民族を除きほとんど見られない。とはいえエチオピアに木彫文化がないわけではなく仮面・彫像とは別の方向に発展してきた。直径1m以上もある大木を輪切りにした贅沢なテーブル、椅子などから牧畜民が用いる携帯用の木彫り枕、らくだの首にかける木鈴まで、エチオピアでは西アフリカとはまた一味違った洗練されたデザインの木彫りの家具・民具を見ることができる。

 その他バスケタリー焼き物などの製作も盛んである。また、牧畜民がミルクやバターを入れるのに用いるひょうたん子安貝や革、ビーズで装飾されたものも多く長年の使用で美しいつやを持つアンティークひょうたんも多く見られる。

*写真:直径1m以上ある巨木を使った贅沢な木彫りのテーブル(無垢)

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