*アラブ系遊牧民のラクダキャラバン(サハラ/マリ) |
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*本稿は2012年11月の「アフリカの遊牧民特集」コラムに、加筆訂正・写真の入れ替え等したものです。
*特に断りがない限りこのページ内の「アフリカ」とはサハラ以南アフリカをさします |
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〜遊牧民とは〜
遊牧民とは移動型の牧畜を基本的な生業形態とする人々・民族である。牧畜は狩猟採集・農耕とともに人類の基本的生業形態のひとつであり、家畜とともに移動しながら牧畜を営む生活形態を遊牧と呼ぶ(季節ごとの定住地を持ちそのあいだを移動する牧畜様式は移牧と呼ぶ)。
アフリカの牧畜(遊牧・移牧・定住牧畜)には大きく分けてラクダ牧畜と牛牧畜がありラクダ(ヒトコブラクダ)はサハラ、アフリカの角などの乾燥地域で、牛牧はサハラ以南のサバナ地域で行われている。ラクダ牧畜民としてはサハラのトゥアレグ・ベルベル・アラブ・トゥブ、スーダン共和国東部のベジャ、アフリカの角のソマリ・アファール・ガブラ・レンディーレなどが挙げられる。牛牧畜民としてはサヘルのフルベ、南部アフリカのコイ・ズールー・コーサ・ヘレロ・ヒンバ、東アフリカのマサイ・ヌエル・ディンカ・サンブル・ボディ・トゥルカナ・ポコット・ドドス・ジェ・カラモジョン・ボラナなどが挙げられる。ここではラクダ牧畜民・牛牧畜民と書いたが、どちらもラクダやウシを柱にヒツジやヤギなどの小家畜も多数飼育し食肉となるのは通常こちらの小家畜のほうである。いずれも牧草を求めて移動生活(遊牧・移牧)を行うが現在は農耕牧畜として定住生活を送るものも多く、生粋の遊牧生活を送るものは年々少なくなってきている。
サハラ縦断交易の中心であったアラブ・ベルベル・トゥアレグなどや、ダナキル沙漠の塩のキャラバンに従事してきたアファールなどラクダ遊牧民は行動範囲が広域にまたがるため古代から交易民としても活躍してきた。
*写真:サハラのラクダ遊牧民トゥブの井戸(チャド・ニジェール国境地帯) |
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〜サハラのラクダ遊牧民:トゥアレグ〜
アルジェリア・ニジェール・マリの砂漠地帯を中心に周辺諸国にも居住するベルベル系ラクダ遊牧民トゥアレグ。「サハラの青い貴族」として、または美しいアクセサリーの製作者として世界でも日本でも知られている「トゥアレグ/ Touareg」という呼び名はアラブ人による他称であり(神に見捨てられた者、の意味/異説あり)、トゥアレグ自身は自らをケル-タマシェク/Kel-Tamachek(民族全体の総称)またはケル-オウェイ/Kel-Owey、ケル-アハガール/Kel-Ahaggal(氏族名)などと呼ぶ。
タマシェクという言語を話し、ティフィナグという独自の文字を持つ。サハラ各地に残された壁画に見られる古代リビア文字がこのティフィナグ文字の基になったと考えられ、岩面画(ラクダの時代)の製作者と思われる人々(古代ギリシア人がガラマンテス人と呼んだ民族)がトゥアレグの祖先ではないかといわれている。この頃(前1000年頃〜)の壁画には馬が描かれていて、サハラがまだそれほど乾燥していなかったことを示している。サハラの乾燥化に伴い、西アジアからラクダが導入されはじめた。トゥアレグもこの過程でラクダ遊牧民になっていったと考えられている。
7世紀に始まるサハラへのアラブの進出以前はサハラの広大な範囲を支配していたトゥアレグは、アラブ侵入後も北アフリカ内陸部からサハラを越えて西アフリカにいたるサハラ縦断交易に重きをなし、自ら交易に従事したり、キャラバンの保護、保護を受け入れないキャラバンへの略奪、南方の黒人王国(マリ、ソンガイなど)への侵攻を繰り返し,サハラの支配者として周辺の民族から恐れられた。
伝統的なトゥアレグ社会は厳格な階層社会であり、トゥアレグの象徴ともいえる濃い藍色のターバン、長衣は貴族階級(イムシャール)のみが身に付けることができた。貴族の下に家臣階級があり、さらに従属的な階級として工人・職人階層があり、アクセサリー、武器の製造などはこの階級に属する人々の仕事であった。(おおむね階級が上がるほど肌が白く、下がるほど肌が黒くなる。)
1970〜80年代の大干ばつ、サハラ交通の変化(ラクダからトラックへ)などで伝統的な遊牧生活を続けるものは激減したが、アルジェリアのホガール山地、ニジェールのアイール山地、マリのイフォラ山地などを中心にはまだ多数のトゥアレグが遊牧、ラクダキャラバンによる交易などの伝統的生業に従事している。
*写真:アイール山地を進むトゥアレグのキャラバン |
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〜アフリカの角の遊牧民:ソマリ・アファール〜
「アフリカの角」とは北東アフリカのインド洋に向かってサイの角のように突き出た地域の名称でありソマリア(およびソマリランド)・エリトリア・ジブティの全土およびエチオピア・ケニアの一部からなり、そのほとんどが沙漠・ステップなどの乾燥地帯である。インド洋・紅海・地中海を結ぶ交通の要衝として地政学上重要な意味を持つ地域である。主な住民はソマリ、アファール、オロモなどのクシュ語系民族・アムハラ・ティグレなどアフリカ・セム諸語系民族(ともにアフロ・アジア語族に含まれる)が多数を占める。
ソマリア内戦、エチオピア-ソマリア紛争、エチオピア-エリトリア戦争、ソマリアの海賊など紛争・混乱の絶えない不安定な地域でもある。
農業に向かない乾燥地帯であるこの地域には多くの牧畜民が暮らす。アフリカの角の遊牧民として知られている民族と言うと、まずソマリとアファールが挙げられるだろう。
ソマリ人はソマリア、エチオピア東部(ソマリ州)、ケニア北東部などアフリカの角と呼ばれる地域に暮らすラクダ遊牧民でありソマリアでは人口の9割以上を占める多数派となっている。アフロ‐アジア語族クシュ語派に属するソマリ語を話しイスラムを信仰する。ソマリ人の帰属意識はソマリ民族全体に対してよりも、数多くある氏族に対してのほうが強く、そのことがソマリア内戦の一因ともなっている。ソマリの女性はその美しさで知られていて、世界的に知られたファッションモデルを何人も輩出している。
アファール人はエチオピア北東部からエリトリア南部にかけて広がるダナキル沙漠・アファール盆地を中心にエチオピア、エリトリア、ジブティに居住する民族。アフロ‐アジア語族クシュ語派に属する言語を話す。伝統的生業形態は遊牧(ラクダ、牛、羊、ヤギなど)であり、ダナキル沙漠各地での湖塩(アッサル湖など)での塩の採掘、交易にも従事する。非常に剽悍な沙漠の戦士としても知られていて、都市居住者はともかくとして砂漠で遊牧生活を送る成人男性はほとんどが自動小銃などで武装しているという。
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〜アフリカの駱駝遊牧民の工芸〜
全サハラで最もよく知られた工芸文化の持ち主は「サハラの青い民」と呼ばれるラクダ遊牧民トゥアレグであろう。サハラの戦士として畏れられてきた一方で、トゥアレグは高度な工芸技術の持ち主としても知られてきた。銀製品をはじめとする金属工芸、鮮やかなターコイズブルーが特徴の革製品(バッグ・財布・サンダルなど)、ラクダや羊の毛織物などがトゥアレグ工芸の代表である。特にトゥアレグのシルバーアクセサリー・ジュエリーはその洗練されたデザインと繊細な技巧で世界的に知られていて、エルメスがそのデザインを取り入れたこともあるという(トゥアレグは金製品を好まず、金を身に着けることは忌まれている。かわりに銀を珍重し銀製品の製作が発展したといわれている)。
トゥアレグのつくるアクセサリーの表面に刻まれている美しい文様は、それぞれ意味があり、事物、物語、寓意などを象徴している。特に母から娘へと代々受け継がれてきたアクセサリーには、家族の歴史などが文様として刻まれていることもある。またトゥアレグに限ったことではないが、装身具とは元来多かれ少なかれまじない的な要素を持つものであり、トゥアレグの装身具にも、魔除け、蛇除け、砂漠で道に迷わないためのお守り、など呪術的意味が込められているものも少なくない。
トゥアレグの工芸品の中でもっとも有名な、トゥアレグクロスと総称される銀のペンダントは父から子へと代々受け継がれ、出身地や氏族など自らの出自をあらわすために使われてきた。出身地や氏族によってさまざまなデザインのトゥアレグクロスがあり、「アガデスクロス」、「ザンデールクロス」等、土地の名前を冠して呼ばれている。
トゥアレグクロスには何十種類ものデザインがある中、大部分のクロスに共通しているのが、上部に開いた穴、上下左右の四方に突き出した部分を持つ十字状のデザインである。穴は井戸を、十字状のデザインはトゥアレグのラクダ鞍の前飾り、トゥアレグの戦士の持つ長剣の柄、または東西南北の四つの方角を象徴するといわれている。またクロスに刻まれた文様にもそれぞれ、井戸、沙漠の道、オアシス、(方位を知るための)星、ラクダの足跡といった意味が込められている。
*写真:ニジェール:トゥアレグの銀細工師 |
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