| ま |
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| ・マウ=リサ |
ヴードゥー教ーの至高神。ナナ=ブルクと呼ばれる原初の神から生まれ世界を創造した。マウという女性神とリサという男性神の双子の神であるといわれている。また一説には両性具有であるとも言われている。いずれにせよ創造神として男女両性の特徴を備えているものと考えられる。
マウ=リサは至高神であり、ヴードゥーの神々はマウ=リサの子供、孫、子孫である。これらの神々はそれぞれの一つ、またはいくつかの事柄を司り複雑な神話体系を構成している。
マウ=リサはヴードゥーの主神といっていい神格ではあるものの、人々の信仰の対象は日常の事柄にかかわる神々に集中していて、マウ=リサ自信が祭祀の対象になることはあまりない。
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| ・マグレブ |
北アフリカ西部をさす言葉。現国名で言えば、西からモロッコ(西サハラ:モロッコが国土の大部分を実効支配)、アルジェリア、チュニジアの三(四)ヶ国を指す(モーリタニアとリビアを入れることもある)。マグレブ(マグリブ)とはアラビア語で「日の没するところ」の意であり、アラブ世界の西端である同地域をこう呼ぶ。日本でモロッコとして知られている国の正式名称はアル・マムラカ-アル・マグリビーヤ、つまりマグレブ王国という。
アフリカの地域を大雑把に表す呼称としては他に「スーダン/サヘル地域一帯に相当」、「ギニア/現在のギニア湾岸諸国に相当」、「コンゴ/中部アフリカ一帯」などがある。
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| ・マサイ |
ケニア・タンザニア両国にまたがる広大なサバンナで、牛とともに生きる牧畜民。畜産品(家畜の肉、乳、血)を主食とする。。長身痩躯、赤銅色の肌に赤い衣を纏い双頭の槍を持った「草原の戦士マサイ」の名は日本でもよく知られている。
マサイの共同体は少年・青年組・長老の三つの年齢組織によって構成されている。マサイの生活を支えている牛牧は主として青年組の仕事であり、彼らは村を離れ青年組だけの集落を作って暮らしている。
マサイの男は槍一本でライオンを仕留めてはじめて一人前の戦士として認められるという。近隣民族にも同じような習慣を持つ民族がいるが、彼らの場合、ライオンが見つからなかった時はマサイを一人殺せば、ライオンを仕留めたのと同じ名誉を受けることが出来たという。物騒な話ではあるが、ライオンと同等視されるほどマサイの勇猛さが近隣に畏れられていたことを示すエピソードである。
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・マシーナ
王国 |
1818年〜1862年にかけてフルベのジハードによりニジェール河中流域に建てられてイスラム国家。ウスマン=ダン=フォディオのジハード(→ソコト帝国参照)に触発されたフルベのイスラム指導者セク=アマドゥが1818年セグー王国に対しジハードを宣言。瞬く間にジェンネを攻略、1854年にはトンブクトゥをも勢力下に置いた。同年にセク=アマドゥは死去。息子が跡を継いだが、1862年近縁のトゥクロール人の帝国に攻め滅ぼされた。
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| ・マスク |
→仮面 |
| ・マミワタ |
ギニア湾岸諸国で広く信仰されている人頭魚身の水の女神。蛇を伴って描かれることが多い。水に関すること以外にも商売繁盛などの神でもある。
ベナン、ナイジェリア、トーゴなどのヴゥードゥー信仰が盛んな地ではヴードゥーの神々の一人とされている。ニジェールにおけるマミワタは人頭蛇身、ニジェール河のジーニー(ジン:イスラム教の魔神・精霊)であるといわれている。
マミワタの語源は英語のMammy Waterであるとも言われている。
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| ・マリ共和国 |
西アフリカ内陸に位置する国。国土の北半分はサハラ沙漠に占められ、人口は南部のサヘル地帯およびニジェール河流域に集中している。歴史上いくつかの大国家が興亡したことでも知られている(古代ガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国、サモリ帝国など)。
ドゴンの住むバンディアガラ、黄金の都トンブクトゥ、豊かな伝統音楽の世界などを抱えた西アフリカ観光の中心地でもある。
主な民族はバンバラ等マンデ系諸民族、フルベ、セヌフォ、ソンガイ、トゥアレグ、ドゴンなど
バンバラ、ドゴン、セヌフォは彫刻に長けた民族として世界的に知られている。
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| ・マリ帝国 |
13C?〜15C末にかけて現在のマリ共和国、ギニアの版図を中心に繁栄したマリンケなどマンデ系民族の帝国。豊富に取れる金をもとでに、サハラ縦断交易により繁栄した。
ガーナ王国崩壊後、ガーナ王国の旧領を支配したのはテクルールの王スマングルであったが暴政をしいたため国情は不安定であった。スマングルの支配下にあったカンガバという地方の小王国(現在のギニア北東部にあった)の王スンディアタ=ケイタはスマングルを破りガーナ王国の旧領の支配権を確立した。スンディアタが王位についた1230年頃から彼の国は「王の住まう所」を意味するマリと呼ばれるようになった。
スンディアタの後継者たちはさらに領土を拡張し、アフリカ史上最も有名な大帝国を築き上げた。マリの繁栄は1310年頃に即位したマンサ=-カンカン=ムーサの治世に最盛期を迎えた。カンカン=ムーサはサハラ縦断交易ルート、サヘルの交易都市、南の森林地帯の金産地を掌握し広大な領土の隅々まで皇帝の支配をいきわたらせた。マリ帝国の富を示すエピソードとして、マンサ=ムーサ(カンカン=ムーサ)王が、メッカ巡礼の途中立ち寄ったカイロ(エジプト)で湯水のように金をばらまき、そのためカイロの金相場が何年にもわたって混乱したというものがある。
帝国の中心地(首都、王都ではない)トンブクトゥにはサハラ以南最古といわれる大学が創立され、文化、経済の中心地として黄金の都とたたえられた。1360年頃からマリの繁栄に陰りが見え始める。暗君、暴君が数代続き、15Cに入るとガオのソンガイ人の反乱,トゥアレグのトンブクトゥ攻略、セネガンビアの反乱、モシの反乱と、内憂外患が続き、領土の大半を失い16Cにはガオに起こったソンガイ帝国の一地方領主となっていた。
アラブ人が伝えたマリ帝国の富と繁栄は遠くヨーロッパにまで鳴り響き、19Cの西アフリカ内陸探検の動機のひとつとなった。マリ帝国の創始者といわれるスンディアタ=ケイタの伝説は、現在でもギニア、マリなどのマンデ系民族の間で語り継がれている。
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| ・マリンケ |
主にギニア、マリ、コートジボアールにすむマンデ系民族。マンディンゴとも呼ばれる。ギニアでは最多数を占める。マリ帝国の始祖スンディアタ=ケイタはマリンケの出身であり、現在もギニア、マリ、コートジボアールにはケイタ姓を持つ人がたくさんいる。
大多数のマリンケ人はムスリムであるが民族文化もある程度保持されていて儀式用の仮面(特に玲羊と人の要素が混ざり合った5〜7本の角を持つ仮面)などがよく知られている。彫刻の特徴はバンバラのものに似て、直線的、かつ厳しい印象の彫刻が多い。
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・マンサ=
カンカン=
ムサ |
マリ帝国黄金期の皇帝。おそらくサハラ以南のアフリカ史上最も名を知られた君主。在位1312頃〜1337。マリ帝国南部の金産地、ニジェール河流域、サハラ交易路の支配を強化し、マリ帝国の版図を西はテクルール、東はガオを超えさらに遠方のハウサ諸国との境まで拡大した。
1324年におこなったメッカ巡礼の際に立ち寄ったカイロで莫大な量の金を湯水のようにばらまいたため、その後10年以上にわたってカイロの金相場が混乱したという逸話を残した。巡礼の帰途にムサがアラブ世界から連れてきたイスラム学者たちによってトンブクトゥは西スーダン一の学術都市としても知られるようになった。
ムサの治世はマリ帝国の歴史の中でも最もよく国が治まったといわれていて、彼の死後10年以上経ってからマリ帝国を訪問した大旅行者イブン=バットゥータは「国のいたるところまで完全に平和で、旅行の際、護衛の必要はまったくなかった。」と記している。
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・マンデ系
諸民族 |
マンディンカとも。マンデ系言語を話す民族の総称。西アフリカ内陸部西部(セネガル、ガンビア、マリ、モーリタニア、ギニア、ギニア=ビサウ、ブルキナファソ、シエラレオネ、リベリア、コートジボアールなど)に広く居住する。バンバラ、マリンケ、ミニャンカ、ソニンケ、デュラなどがマンデ系民族に含まれる主な民族であり、言語、文化にある程度の共通性が見られる。
マンデ系民族が樹立した国としてはガーナ王国、マリ帝国、バンバラ帝国、サモリ帝国などが挙げられる。
マンデ系諸民族の中でもバンバラ、ソニンケ、マリンケの彫刻、特に仮面には、細長い顔、長い鼻、落ち窪んだ目、直線的な風貌、哲学的な表情、真鍮版による装飾などかなりの共通点が認められる。
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| み |
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| ・ミナ |
トーゴ南部に居住する農耕民族。エウェ語系の言語を話す。もともとはガーナの沿岸地方に住んでいたらしいがヨーロッパ人がトーゴ沿岸で交易(奴隷貿易)を始めた16C頃にはすでにこの地域に居住していて、ヨーロッパ人との交易を担った。現在ミナはトーゴで最大の勢力を持つ民族のひとつであり、ミナ語はトーゴ南部の共通言語となっている。
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| む |
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| ・ムーア |
マグレブ諸国(モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア?)、およびモーリタニア、マリ、ニジェールに住むアラブ系遊牧民の総称。アラビア半島から始まったイスラームの拡大に伴い移住してきた。アラブ世界から持ち込んだ高度な工芸技術を持つ。
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| め |
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| ・メンデ |
シエラレオネ東部および南部に居住するマンデ系農耕民。シエラレオネで多数派を占める民族のひとつであり、北のサヘル地域から数百年前に移住してきたと考えられている。
メンデは彫刻に秀でた民族として世界的に知られていて、ポロ、サンデ(アフリカには珍しい女性の秘密結社)などの秘密結社の儀式に使用される仮面、彫刻はアフリカ美術の傑作のひとつといわれている。
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| も |
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| ・モシ |
おもにブルキナファソ中央部に住む同国の最大民族。15世紀から現在まで続くモシ王国を作った。王国の祖とされている女戦士にして女王であるYennenga(イェネンガ)の名前は首都ワガドゥグの目抜き通りに冠されてる。近隣の(モシ王国時代に支配していた)ドゴンやグルンシに影響を受けた仮面、彫像を製作する。
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| ・モシ王国 |
15C頃から現ブルキナファソ領を中心として形成されたモシ民族による国家群。
現ガーナ共和国北部から(伝承によるとイェネンガという勇猛な女戦士に率いられた)騎馬軍団をともない北上してきた民族が先住農耕民を征服し作り上げた。征服の過程で先住民との混合が進み現在のモシ民族が形成されたと考えられている。モシ王は前述のイェネンガという女王の息子ウェドラゴの子孫といわれている。
モシ王国は当時強勢を誇ったマリ、ソンガイ帝国に服従することはなく、しばしば両帝国の南縁を侵し、時にはトンブクトゥを占領したりと、、両帝国の悩みの種であった。また19Cのフルベ人のジハードの際にも頑強に抵抗し独立を守り続けた。
モシ王国は王の権威の下に階層的な支配構造を持ち、19C末にフランス植民地軍に占領されるまで同地域の強国として繁栄した。現在も王国はブルキナファソ共和国内に存続していて、世俗権を持たないもののモシ国王が首都ワガドゥグの宮殿に住んでいる。
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| ・文字 |
一般にサハラ以南のアフリカ(いわゆるブラックアフリカ)は無文字社会であったといわれている。サハラ以北(いわゆるホワイトアフリカ)、サハラには固有の文字を持つ民族、トゥアレグ(ティフィナグ文字/サハラ・サヘル西部)、アラブ(アラビア文字/北アフリカ)、アムハラ(アムハラ文字/エチオピア)、ティグレ(ティグリニヤ文字/エチオピア・エリトリア)などが多数いるが、サハラ以南で固有の文字を持つ民族は(私の知る限り)、ヴァイ(シエラレオネ)、バムン(カメルーン)だけである。
とはいえ、西スーダンの大帝国マリやソンガイのイスラム化した知識階級の人々はアラビア文字でアラビア語の文書を残したりもしているし(トンブクトゥの歴史学者アブドゥラマン=アッサディの著した「タリーク=エッスーダン/スーダン史」など)、フータ=ジャロンのフルベ人たちは自らの言語をアラビア文字で記したりもした。現在でもイスラムの盛んな地域ではマラブー(イスラムの導師)が子供達にクルアーンの読み書きを教えているが、そこにラテン文字やヨーロッパ言語到来以前の西アフリカの文字使用の状況が見てとれるかもしれない。
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| ・モプティ |
マリ共和国ニジェール河中流域の港町。ニジェール河と支流のバニ河との合流点に位置する。ニジェール河河川交通、水運の一大中継地。モプティからガオまでの河沿いにはまともな陸路がないため河川交通の重要性は高く、今日も人や荷物を満載した木造船が行き交っている。
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| ・木綿布 |
→布 |
・モーリタ
ニア |
北西アフリカ、サハラが大西洋に接する地域に位置する国。南のセネガルとの国境に沿ってセネガル河が流れる。国土の大半はサハラ沙漠に覆われている。
古くからサハラ縦断交易の舞台となり様々な王国が勃興した。同国南東部のクンビ=サレー遺跡は古代ガーナ王国の都の遺構と考えられている。また同国北部内陸部のオアシス・シンゲッティはイスラム第七の聖都として知られている。
主な民族は北部を中心としてアラブ、ベルベル、南部を中心としてトゥクロール、ソニンケ、ウォロフなど
アラブ世界から伝わった高度な技術を生かした金属細工が盛ん。エボニーに金属象嵌を施した工芸品も多くつくられている。
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