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アフリカ関連用語集

〜より充実した内容を目指し、随時更新していきます。〜

な行
斜体字は民族名です

概説
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Y Z

 
・ナイジェリア 西アフリカギニア湾に面した、アフリカ最大の人口1億4000万を抱える大国。ギニア湾に面した実質上の首都ラゴスはアフリカで2番目に危険な街というありがたくない称号を頂戴している(名誉ある一位に輝くのはもちろん南アフリカのヨハネスブルグ)。
イフェベニン王国の伝統を受け継いだ精巧なブロンズ彫刻、南部の諸民族の仮面、彫刻など芸術的にもアフリカ有数の大国のひとつである。
主な民族は南西部のヨルバ、南東部のイボ、北部のハウサフルベ。他にも100以上の民族が居住しているといわれている。
ナイジェリアの商品
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・ナイル河 全長6700q(世界第1位)、流域面積287万kuを誇る世界最長の大河。流域はエジプトスーダン共和国のほぼ全土、エチオピアケニアタンザニアブルンジルワンダウガンダコンゴ民主共和国(以下RDC)に及び、そのあまりの大きさからエジプト、スーダン共和国ではアラビア語で海を意味する「バハル」とも呼ばれている。

ウガンダ、RDC国境に源を発する白ナイルとエチオピア北部に源を発する青ナイルがスーダン共和国の首都カルトゥームで合流し北上、エジプトのアレキサンドリアで地中海に注ぐ。

「エジプトはナイルの賜物」というヘロドトスの言葉どおり、ナイル河は乾ききった沙漠地帯に大量の水と栄養に富んだ土砂をもたらし、流域での農業発展の結果、下流域には古代エジプト文明が、上・中流域ではクシュ(前9C〜後4C)などの古代黒人王国が栄えた。

ナイル河は毎年非常に規則的に増減水を繰り返すため、増水期の水を貯めておく灌漑工事のための土木技術、増減水の周期を正確に予測するための天文学、暦法などが発達しエジプト文明の基礎となった。

現在でもナイル河はスーダン、エジプトの生命線であり、流域にはいくつもの巨大ダム(アスワンハイダムなど)が作られ農業・工業用水、水力発電など様々な形で利用されている。


・ナイル河
   探検史
青ナイルの源流はエチオピアのタナ湖、白ナイルの源流はタンザニアビクトリア湖であるが、長い間ナイル河の源流はなぞのままであった。

ナイルの水源を探る試みはすでにエジプト古代王朝時代に始まっていた。ローマ支配の時代に派遣された源流探索隊は現スーダン共和国南部に広がる大湿地帯まで到達したと考えられている。

AD1Cのギリシア人船乗りはアフリカ内陸部を踏査し、ナイルの水源は二つの湖であるとの情報をもたらした。

中世にはアフリカの大河、ナイル、コンゴニジェールチャド湖は一つの同じ水系に含まれると考えられていたが、18Cのアフリカ内陸探検熱の高まりの中、スコットランドのブルースがエチオピアのタナ湖を青ナイルの水源として同定した。

青ナイルよりも長く、途中スーダン南部の大湿地帯などの難所のある白ナイルの水源探索はさらに困難を極め、イギリスの探検家スピークによりビクトリア湖が白ナイルの水源であると確認されたのは1862年のことであった。

一般にはビクトリア湖が白ナイルの源流とされているが、ビクトリア湖に注ぐいくつかの川の源流が白ナイルの真の源流とみなされることもあり、現在でも真の源流を探索する試みが続けられている。


・ナイル-
 サハラ語族
中央スーダンからナイル河上流域、ケニアタンザニアに散らばる多数の小言語群からなるアフリカ第二の言語グループ。

ソンガイカヌリなどの比較的独立性の強い7つの言語群と、シャリ-ナイル語派という大きな語派から構成される。シャリ-ナイル語派は中央スーダン諸語と東スーダン諸語などに下位分類され、東スーダン諸語にはヌエルディンカシルックマサイなど民族誌で有名な民族が含まれる。東スーダン諸語に属する諸民族にはを中心とする牧畜民が多く含まれ、社会的、文化的、宗教的に牛を非常に重要視(神聖視)する民族が多い。
←アフリカの言語


・ナツメヤシ 単子葉植物ヤシ科に属する植物の一種で北アフリカか西南アジアが原産地と考えられている。その果実は非常に古くから食用にされ、一説には8000年以上前から栽培されていたとも言われている世界最古の栽培植物のひとつである。

一本の葉柄に数百個の3〜7pほどの実を房状につける。熟した実は非常に甘く生食もされるが、サハラサヘル地域では主に乾燥させて保存食としたものが食べられる。

ナツメヤシは乾燥地帯でも栽培が容易でありその果実は栄養価が高くビタミンも豊富、さらに保存も利くことから、中近東、北アフリカ、サハラ、サヘルでは非常に重要な食料となっている。

果実を発酵させ酒(アラキ)をつくることもある。


・ナミビア 南部アフリカ南西部、大西洋に面した国。非常に乾燥した国であり国土の全てが砂漠もしくはステップ気候帯に覆われている(沿岸部のナミブ沙漠、内陸部の比較的乾燥が穏やかな高地帯、東部のカラハリ沙漠)。

古くはコイサンなどが先住民族として暮らしていたが16、17Cごろにバントゥー系民族の南下に追われカラハリの奥地へ追いやられた。19C末にドイツ植民地(ドイツ領南西アフリカ)とされ、第一次大戦時に南アフリカ連邦(南アフリカ共和国の前身)の委任統治領とされた。第二次大戦後南アは南西アフリカ(ナミビア)を一方的に併合、アパルトヘイト政策を適用した。1960年代から始まるアフリカ人独立勢力による武装闘争を経て1990年に独立を達成。

主な民族はオバンボ、ヘレロツワナコイサンなど。北部アンゴラ国境付近には現在も伝統的な牧畜生活を送るヒンバが住む。かご細工、ダチョウの卵を使った工芸品、ヘレロの人形などの工芸品がみやげ物として人気がある。


・ナミブ沙漠 南部アフリカ西岸、アンゴラ南部からナミビア沿岸地方全域にかけて南北1600km、東西40〜130km、約8万kuを占める海岸性沙漠。ナミブ沙漠はカラハリ沙漠の一部だと考える地理学者もいる。

アフリカの南半球部分では最も乾燥した地域であり、乾燥地帯の苛酷な自然環境に適応した独特な生態系が発達し、多くの固有種が生息している(1000年以上生きるといわれているウィルウィッチアなど)。また砂丘もよく発達し世界最大といわれる砂丘もこのナミブ沙漠にある。


・ナンジ ナイジェリア東部からカメルーン北部にかけて居住する民族。木彫りの人形の製作で有名。人形は非常に抽象化されたデザインで多くの場合両手両足を広げた形をし、シードビーズのネックレスやタカラガイなどの装飾品で飾り立てられている。

この人形はナンジの少女たちに用いられ、少女たちはまるで自分の子を世話するように人形の世話をするという。

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ナンジドール・ナイジェリアorカメルーン<アフリカの木像ナンジドール・ナイジェリアorカメルーン<アフリカの木像

 
・ニジェール 西アフリカ内陸の国。国土のほとんどをサハラ沙漠が占め、人口は南部に集中している。北東部には世界でもっとも過酷な沙漠といわれるテネレ沙漠が横たわり、今なおラクダキャラバンが行き来してる。
主な民族はハウサジェルマフルベ。北部のアイール山地には今なお伝統的な遊牧生活を送るトゥアレグが居住している。(余談だがアイール山地には温泉が湧き、各地から湯治客が訪れる。)
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ニジェールの商品

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・ニジェール河 アフリカ第三の大河(1位はいわずと知れたナイル河。2位はコンゴ/ザイール河:流域面積では1位)。ギニア東部シエラレオネとの国境に位置する山岳地帯に端を発し、、マリ共和国中部に広大な氾濫原(ニジェール河内陸デルタ)を形成しつつそのままトンブクトゥガオを北端とする大きな弧を描いて(ニジェール河大湾曲地帯)、ニジェールを通り、ベヌエカドゥナ、ソコト川等の支流を集め、ナイジェリア東部で大きなデルタ地帯を造りつつギニア湾に注ぐ。

ギニア、マリ、ニジェール、ベナン(ニジェールとの国境線)、ナイジェリアを通過する全長4180km、流域面積209万kuの国際河川。支流にもバニ川、ベヌエ川など全長1000kmを越える大河がある。

ニジェール河は流域地帯の農業、漁業、交通、物流の大動脈であり、早くから人類が定住、農耕を行い多くの文明を育んできた。上・中流域にはガーナ(正確にはセネガル河流域だがニジェール河流域も一部領有)、マリソンガイの大帝国が勃興しジェンネ、トンブクトゥ、ガオなどの交易都市が繁栄し、下流域ではイボ・ウクウ文化ベニン王国などが栄えた。

道路網の未発達なニジェール河中流域では現在でも河川交通が主要な移動、輸送の手段であり荷物を満載した大型木造船が行き交う姿を目にすることができる。


・ニジェール河
   探検史
ニジェール河は謎の大河とも呼ばれ、古代においてはナイル河と同一視されるなど(かのイブン=バットゥータもそう思っていたらしい)、長い間流れる方向、水源、河口の位置などが流域住民にすら不明のままであった。

初期のヨーロッパ人探検家たちはニジェール河が西に流れセネガル河となると考えるものもいたが、18C後半からのアフリカ内陸探検ブームの中、19C初頭イギリスの探検家マンゴ=パークが水源の大まかな位置、流れの方向を確認したが探検途中に死亡。その後イギリスのランダー兄弟によってニジェール河が下流で無数の支流に分かれ広大なデルタを形成しつつギニア湾に注いでいることが確認された。

日本の急峻な川の流れになれている我々には、流れの方向がわからないなんてそんな馬鹿なことはないと思えるかもしれないが、実際にニジェール河を眺めてみると(特にマリ中部のニジェール河大湾曲地帯では)、探検家たちの困惑を実感できる。


・ニジェール河
     デルタ
ニジェール河内陸デルタと紛らわしいがこちらはニジェール河の河口デルタ。ニジェール河がギニア湾に注ぐナイジェリア南西部に形成された広大なデルタ地帯。

ニジェール河はナイジェリア南西部オニチャ付近から下流に向かい枝分かれをはじめ、無数に分かれた支流は広大なデルタ地帯を形成、300q以上の海岸線から海に注ぎ、その面積は約7万ku(アフリカ第一位)に及ぶ。

またこの地域およびその沖合いはナイジェリア随一の産油地帯でもある。


・ニジェール河
  内陸デルタ
ニジェール河中流域およびその支流であるバニ川下流域に、河川、湖沼、氾濫原によって形成された広大な内陸湿地帯。本流においてはモプティの上流から、バニ川においてはサン付近から始まりトンブクトゥまでの地域がこの内陸デルタに含まれる。

ニジェール河内陸デルタの主な住民はドゴン(農耕民)、フルベ(牧畜民)、ボゾ(漁撈民)。

ニジェール河デルタと紛らわしいがそちらはニジェール河の河口デルタのこと。


・ニジェール-
 コルドファン
 語族
コンゴ-コルドファン語族とも。アフリカのみに存在する語族。アフリカ最大の言語グループであり、サハラ以南のアフリカのほぼ全域に分布していて、ニジェール-コンゴ語派とコルドファン語派に下位分類される。

ニジェール-コンゴ語派がサハラ以南アフリカのほぼ全域に広がる大言語グル−プであるのに対しコルドファン語派はスーダン共和国南部コルドファン山地のみに分布するいくつかの中小言語群からなる。

この語族の特徴として、名詞クラスという文法が見られる(例外的に名詞クラスを持たない言語もあるが)。これは一つの言語の中ですべての名詞がいくつかのクラスに分類され、それぞれの名詞クラスにそれに対応する指標(通常は接頭辞)が存在するというものである。
←アフリカの言語


・ニジェール-
 コンゴ語派
ニジェール-コルドファン語族の下位分類で、サハラ以南アフリカのほぼ全域に分布している大言語グループ。

マンデ語派バンバラマリンケボボなど)・アトランティック語派(フルベウォロフ等)・グル語派/ボルタ語群(モシセヌフォドゴン等)・クワ語派(ヨルバアシャンティフォン等)
・アダマワ語派・ベヌエ・コンゴ語派(バントゥー諸語など)の6つの言語グループに下位分類される。

バントゥー諸語を含みアフリカで最も広く分布している言語グループであるベヌエ-コンゴ語派は、紀元前後に現ナイジェリア東部ベヌエ川流域の故地から移住を開始し、現在は中部、東部、南部アフリカの広い地域に居住している。
←アフリカの言語


・西サハラ またはサハラ・アラブ民主共和国。サハラ砂漠の西端・アフリカ大陸北西部モロッコモーリタニアの間に位置する係争地。そのほとんどはサハラ砂漠に覆われている。19C末〜20C初頭のアフリカ分割の時代にスペイン領となり1976年までスペインが領有していた。

スペイン撤退後モロッコとモーリタニアの分割統治が始まるが、西サハラ独立派はPOLISARIO(サギア・アルハムラおよびリオ・デ・オロ解放人民戦線)を結成しサハラ・アラブ民主共和国の独立を宣言。武力闘争を開始した。1979年のモーリタニア撤退の後はモロッコが西サハラのほぼ全土を実効支配している。独立かモロッコ領の一部となるかの住民投票が行われる予定ではあるが立案から20年近くたった今に至るまで延期され続け実施されていない。

サハラ・アラブ民主共和国は現在アフリカ・中南米の国を中心に約80カ国に承認されていて、AU(アフリカ連合)にも加盟している(日本は未承認。また西サハラに対するモロッコの領有権はほとんどに国が承認していない)。

主な住民はアラブ人・ベルベル人・少数の黒人系住民などであり、遊牧生活を送る人々が多いのが特徴である


・ニャムウェジ タンザニア北中部最大の民族(タンザニア第二位の人口を持つ)。ニャムウェジとは「西の人々」または「月の人々」の意味。16C末〜17C初頭にかけて同地域に移住してきたと考えられている。

19Cには沿岸のスワヒリ都市と現コンゴ民主共和国南東部を結ぶ交易に従事し徐々に勢力を蓄えた。19C半ばに現れたニャムウェジの一首長ミランボはそれまでいくつもの小王国に分裂していたニャムウェジを統合しニャムウェジ王国を作り上げたが、ミランボの死後またもとの分裂状態に戻った。

小規模ながら王国的組織を持っていたニャムウェジ社会では宮廷美術が発展し、祖先像を彫りこんだ首長の玉座などが作られた。ニャムウェジ彫刻で最も有名なのが極端に細長くデフォルメされた人像であり水占いの儀式に用いられていた。

タンザニア最大の民族グループスクマは北に移住したニャムウェジの子孫といわれている。


・ニンバ ギニア共和国大西洋岸に居住する少数民族バガの信仰する豊穣・多産・子孫繁栄を司る女神、またはその神をかたどった頭上面のこと。

ニンバ像はその独特の髪型、顔の造形、豊かな乳房などが特徴的であり、バンバラチワラアシャンティアクワバなどと共に世界的にもっとも有名なアフリカの彫像のひとつである。

ニンバ像は農耕儀礼の際に樹皮等で作った蓑状のカバーで体を覆った踊り手の頭上に取り付けられ使用される。
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・ヌエル スーダン共和国南部ナイル河上流の低湿地帯に住む牧畜民。マサイディンカなど北東アフリカの牛牧民と同じくナイル‐サハラ語族の言語を話し、同様に長身痩躯である(特にディンカとは近い関係にある)。

イギリスの文化人類学者エヴァンス=プリチャードによる民族誌で知られている。


・布 サハラ以南のアフリカの木綿布製作の起源についてははっきりしないことが多いが10Cにはすでに始まっていたことは確からしい。

西アフリカに広く見られる水平機によって織られた木綿布は織機の構造上織り幅が5〜30cm程度に制限されるため「西アフリカの細幅木綿布」として知られている。地面に打ち込んだ杭から数m(時には数10m)離れた場所に置いた織機に向かい水平に経糸を張った水平機による機織作業は西アフリカの町や村で現在でもよく目にすることができる。

織られた布は織り耳を縫い合わせて一枚の幅広布とした後、染色刺し子細工などを施されて使用される。(つづれ織りやかすりなどの技法で直接模様を織り込むこともある。)このような木綿布はかつては王侯貴族のような特権階級しか身に着けることの出来ない貴重品であった。

西アフリカの細幅木綿布はおおむね平織りの無地布でそこに染色を施すことが多いが、民族によっては文様用、緯縞(よこしま)用の緯糸(よこいと)を使い、浮織り、緯織り(よこおり)、綴織り(つづれおり)、縫取織りなどの技法を用いて独自の文様、ヨコ縞を織り出すこともある。こうした布は何枚も縫い合わせて一枚の幅広布に仕立てたときに、一枚の布として大きなヨコ縞模様、市松模様、幾何文様などを描き出すようにつくられている。

西アフリカの伝統社会では水平機による織物は全て男性職人によっておこなわれる(染色は女性の仕事であることも多い)。垂直機による織物はナイジェリア南部やラフィア布を作る地域で多用されるが、この場合は男女共に織物をつくる。ただしこの場合もひとつの村の中で男女共に織物をつくるということはなく、村ごとに織り手の性が決まっているという。

西アフリカの伝統的な織り文様布としてはガーナトーゴケンテ布フルベジェルマソンガイハウサヨルバが作る布が知られている。

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アフリカの布
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・ヌビア エジプト南部からスーダン共和国北部にかけてをあらわす地名。古代エジプトとともに古くから文明の栄えた地でもあり、エジプトとの交易で栄えた。

前9C頃にヌビアに興ったクシュ王国は最盛期にはエジプト全土を支配するほどの繁栄を誇ったが、紀元後4Cにアクスムエチオピア)に滅ぼされた。スーダン北部のメロエを中心として、ピラミッドをはじめとするクシュ王国の遺跡が数多く残されている。


・ヌペ ナイジェリア中央部ニジェール河カドゥナ川の合流地点を中心に居住する農耕民族。17世紀には独自の王国を形成した。

伝承によればヌペは以前は小さな首長国に分裂していて、その中の一つは南の強国イガラの朝貢国であった。イガラの王子とヌペの首長の娘との間に生まれた子供がやがてヌペを統一し(1530年頃)初代のエツ(王)となったツォエデであった。

ヌペ王国はその後3世紀にわたり地域の強国として繁栄し18C後半にはイスラム化したが、19C初頭のフルベのジハードを免れることはできず、ソコト帝国に征服された。

北のサヘルと南の森林地帯を結ぶ交易路の中間に位置するという利点を生かし交易中継地として繁栄した。その伝統をいかし、現在でも商業民族として活躍している。またヌペはヨルバと近い関係にあり、イフェ青銅器文明の伝統を受け継ぎ独自の工芸文化を発展させた。
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・ノク文化 ナイジェリア北部ザリア地方に前500年頃〜後200年頃にかけて栄えた文化。代表的な遺跡の名をとってノク文化と呼ばれる。粘土製の彫像(人物像、動物像等)で有名である。サハラ以南のアフリカの彫刻文化として現在遺物が残っている文化の中では最も古いものの一つである。またノク文化はサハラ以南のアフリカでは最初期の鉄器文化としても有名であり、周辺のニジェール河下流域、チャド湖周辺からも同時代の鉄器製造の遺構が発掘されていて、同地域がサハラ以南のアフリカで初めて製鉄技術が開発、または導入された地域と考えられている。


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