| は |
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・ハイレ=
セラシエ一世 |
1892年〜1974年。エチオピア帝国最後の皇帝。メネリク二世の遠縁として生まれたハイレ=セラシエはメネリク二世の二代のちの女帝ザウディトゥの摂政として事実上エチオピアの支配者となり、1930年に皇帝に即位したのち近代化政策に取り組み一定の成果を挙げた。
第2次大戦期一時的にイタリアに占領されたが(1936〜1941)その後もエチオピアの統治者として帝位に在り続けたが、大戦後アフリカの年(1960)を経てアフリカに次々と独立国(民主主義国家といえるかどうか怪しい国も多かったが、建前上は民主主義を標榜していた)が誕生する中、旧態依然とした帝政に国民の不満が高まり、1974年の革命により廃位された(幽閉先で死亡。暗殺説も有り)。
独立の維持、憲法制定、立憲君主制の導入、議会設立、普通選挙実施、アフリカ統一機構(現AU)の本部を首都アジスアベバに招致するなど、その業績には一定の評価がある一方、古くから続く半封建的な社会体制を改善せず、74年の革命を招いた。
なお、彼の幼名のラス=タファリはジャマイカ発祥のラスタファリズムの語源となっている。
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| ・バヴィリ |
ガボンの海岸部からコンゴ共和国、コンゴ民主共和国海岸部にかけて居住するバントゥー系民族。コンゴ地域の大民族バコンゴのサブグループの一つである。犬やサルの彫像、Nkisi、仮面(白、黒、赤等の顔料で彩色されたものが多い)の製作などで知られている。
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| ・ハウサ |
ナイジェリア北部およびニジェールに居住する民族。ニジェールとナイジェリア北部州で最大の人口を抱える民族(両国あわせて1000万以上)。14C〜19C半ばまで同地方にハウサ諸国と呼ばれる都市国家群を作った。現在も同地方(ハウサランド)では壁に美しい文様を施したハウサスタイルの家を見ることが出来る。遠距離交易の仲介者として活躍してきたハウサ人の言語、ハウサ語は現在西アフリカ内陸部でもっとも広く通用する共通語(リングアフランカ)となっている。
また藍染めでも有名で、トゥアレグが好むほとんど紫に近い濃い藍色の砧打ちの布はほとんどが北ナイジェリアのカノなどのハウサ都市で作られている。
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| ・ハウサ諸国 |
現在の北ナイジェリアのハウサランドと呼ばれる地域に形成されたハウサ人の都市国家群。城壁に囲まれた都市を中心に周辺部の村落を統治した。
伝承によればその起源は10Cにまでさかのぼるが、現実にはおそらく14C半ば頃までに王国群が形成されていたと考えられている。伝説上のハウサの祖バヤッジッタの子孫がそれぞれハウサ七国(ハウサ-バクワイ)の祖になったといわれている。カノ、ゴビル、カツィナ、ビラム、ダウラ、ラノ、ザリアの7つの都市国家ががハウサ七国と呼ばれているが他にもいくつもの大小のハウサ都市国家が興亡を繰り返した。
ハウサ諸国は南方の諸国とスーダン(サヘル)諸国を結ぶ交易路の要衝として繁栄し、またハウサ商人自身も長距離交易に従事した。
ハウサ諸国同士で相争うことはあっても同盟を結び広域国家を形成することはなく、軍事的には東西の大国ソンガイ帝国、カネム=ボルヌー帝国に押され、しばしば朝貢、臣従を強いられた。19C初頭のウスマン=ダン=フォディオによるジハード(ソコト帝国の建国)によりハウサ諸国全域が征服され、20C初頭にはイギリスの植民地に組み込まれた。
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| ・バウレ |
コートジボアールの主要民族のひとつ。アカン系の言葉を話しもともとは現ガーナ領に居住していたと考えられる。18C半ばアシャンティ王国の後継者争いから逃れたアカン人の一派がアウーラ=ポクという女性リーダー(初代アサンテヘナ・オセイ=トゥトゥ一世の姪)に率いられ現コートジボアール中部のブアケ周辺に住み着きバウレ人となった。
アウーラ=ポクの後継者アクワ=ポニ女王のもとでバウレ王国とも呼ぶべき王国を形成したが、ポニ女王の死後内紛が起き分裂した。その後はバウレとしての統一を果たすことはなかったが19C末頃まではこのバウレ系緒王国がコートジボアール南部の大部分を支配していた。
バウレはギニア湾岸諸国の諸民族の中でも芸術的に優れた民族として知られ、非常に多様性に富んだ様式を持っている。なかでも円盤に角をつけたような形のゴリの仮面、眠たげな眼をした女性の仮面、精緻な浮き彫りを施した木の扉などがよく知られている。
バウレの彫刻はスーダンの彫刻とギニアの彫刻の折衷的な様式を持ち、細部まで緻密に彫り込んだ洗練された作品を多く生み出してきた(彫刻文化を持つほかの多くのアフリカの民族と違い、バウレ社会では彫刻師は世襲ではなく個人の意志によって選択される職業である)。また同地域で取れる金を使った精巧な金細工を作ることでも知られている。
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| ・バオバブ |
主にアフリカのサバナ気候帯に分布するキワタ科の高木。アフリカ大陸部に1種、マダガスカルに7〜8種、オーストラリアに2種のバオバブが存在する。
その独特の形状で有名なバオバブであるが、種によってかなり形の異なるものもある。アフリカの大陸部に分布するバオバブは「巨人が幹をつかんで根を引き抜き逆さに植え替えたようだ」と形容される独特の形状を持ち、高さ10〜30m、幹の直径(胸高)は時として3m以上にも達する樹木。老樹は幹内部が空洞化するために正確な樹齢は計測できないが数百年は生きると考えられている。サバンナに枝を広げて堂々とそびえるバオバブの姿はアフリカのサバンナを代表するにふさわしい景色である。
種は落雁状の酸味のある果肉に包まれ、そのまま食べたり、果肉を水に溶かして飲料としたりもする。若葉は食用、樹皮そのほかの部分も伝統的な民間薬に用いられるなど地域の人々の生活にとって欠かせない植物となっている。
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| ・バオル王国 |
1555年にカヨール王国から独立したウォロフ人の王国。カヨールの南、シン王国の北、現在のセネガル中部にあたる地域を支配していた。1859年に始まったフランス軍の侵攻は1875年にフランス軍の勝利で一応の決着を見たが、フランス軍がバオル王国領を完全に支配したのは1894年になってからのことであった。
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| ・バガ |
ギニア共和国大西洋岸に住む小さな民族集団だが、彼らのつくるニンバ像はアフリカを代表する彫刻として広く知られている。ニンバはバガの信仰する豊穣の女神であり、豊作祈願の祭儀の際、踊り手は樹皮でつくったみの状のカバーで体を覆い隠し、頭上にニンバ像をのせて踊りる(→頭上面)。
豊かな乳房は地の実りを象徴するとともに人の実り(安産・多産)も象徴し、子孫繁栄の女神としても信仰されている。
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| ・バクバ |
クバとも言う。コンゴ民主共和国南東部に居住する農耕民。その彫刻は、アフリカ美術の宝庫といわれるコンゴ盆地諸民族の中にあってバルバ(ルバ)と並び最高の評価を受けている。17C頃に始まったクバ王国(伝承では93代目の王といわれているシャムバ-ボロンゴンゴ王が実質上の建国者)で宮廷美術画発展し、各王の事績をデザインに取り入れた王の像は特に有名である。またラフィアヤシの繊維から織ったラフィア布の製作でも名を知られている。
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| ・バコタ |
コタとも。ガボン東部に住むバントゥー系農耕民。先祖の遺骨箱を飾るための人頭像の製作で知られている。薄い平面的な造形の人頭像に金属板をかぶせて装飾した像は遺骨箱の守護者であるとも言われ、アフリカ美術の中でもよく知られたものの一つである。
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| ・バコンゴ |
多くの人口を持ちコンゴ共和国・コンゴ民主共和国、アンゴラにかけて広く居住するバントゥー系農耕民族。単にコンゴ民族とも。ヴィリ、ヨンベなどのサブグループを持つ。14C〜19Cに同地方に栄えたコンゴ王国を築いた。
アフリカ美術の宝庫コンゴ盆地にあっても、ルバ、クバと並ぶ彫刻の名手として知られ、ヴィリ、ヨンベなどのサブグループととも広大なコンゴ文化圏を形づくっている。Phembaと呼ばれる母子像などが有名であるが特によく知られているものが全身に釘を打ち付けたNkisiと呼ばれる彫像をはじめとする呪術用(よい目的につけ悪い目的につけ)の彫像群である。
なおバコンゴ(コンゴ)、バクバ(クバ)、バルバ(ルバ)の最初につく「バ」とは複数を意味する、多くのバントゥー諸語に共通する接頭辞である。
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| ・バサ |
リベリア沿岸部に居住するクル語系民族。芸術的には近隣のマンデ系住民、特にダンに深く影響されている。
様々な秘密結社組織を持ち(アフリカでは珍しく女性だけの仮面結社もある)様々な儀礼の場で仮面が用いられる。チュデンゾと呼ばれる女性のみの結社の儀式に用いられるゲラと呼ばれる仮面が特によく知られている。
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| ・バザン |
→砧打ち布 |
| ・バスク |
コンゴ民主共和国南西部に居住するバントゥー系農耕牧畜民。
バスクの仮面・彫刻は首長のための一種の宮廷美術という側面を持っている。頬の盛り上がりを強調した仮面が多く見られる。また犬を使った狩猟を好むことから頭上に犬の像を載せた仮面が多くつくられている。
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| ・バスケトリー |
人類史のごく初期から作られ続けてきた道具「かご」。かごを含むバスケトリーははるかな昔から世界中の民族によって作られ、使われてきた。アフリカでも古くからさまざまな材料を用いて多様なバスケトリーを作ってきた。
アフリカのバスケトリーは、材料としては、ヤシの葉、麻、アシ、樹皮、つる、竹、イネ科植物、糸、毛、皮革から現代ではワイヤー、ビニール皮膜の電気コード、プラスチック、ビニールひもまで、技法としてはもじり編み、コイル巻き編み、平編み、網代編み、斜文編みなど多岐に渡り、その製品の形状、用途もまた多彩である。
容器(いわゆるかご。形状、大きさも人一人入るくらいのものから掌に乗るくらいのものまで様々である)、バッグ、マット(敷物としてだけでなく、家の壁、塀、時には屋根としても用いられる)、うちわ等々。つるなどの柔軟な素材を使った場合は袋、網、さらには吊り橋までも作ってしまうこともあるし、帽子・サンダルなどの日用品から、魚罠・獣罠、そのうえ戦争時に携帯する盾なども作ってしまう。現代ではかご編みの技術をアクセサリーの製作にいかすこともある(ルワンダのサイザル麻ピアスなど)。
現在安価なプラスチック製品がアフリカにも大量に出回っているが、伝統的な手編みのかごも健在で、市場などでかごを編みながら売っているおばちゃんたちを目にする機会も多い。
鮮やかな彩色を施した材料を使い、複雑な文様を織り込んだ美しいかごの数々は、アフリカの人々の日用品としてだけでなく土産品としても人気を博している。ガーナ北部のもじり編みのかご、ブルキナファソの平編みかご、ルワンダのとんがり屋根型のふたのついたかごなどがよく知られている。
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| ・バソンゲ |
ソングェとも。コンゴ民主共和国南東部ルアラバ川流域に暮らす農耕民族。近隣のルバ人とは同じ祖先を持つとの伝承がある。
仮面・彫刻のつくり手としても知られていて、Bishimbaと総称される彫像も有名ではあるがなんと言っても特徴的なのはその仮面である。kifwebeと呼ばれる仮面は白・黒・赤などの縞模様で彩られ頭頂部にはモヒカン狩りのような突起が付けられている。
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| ・バチョクウェ |
チョクウェとも呼ばれる。コンゴ民主共和国、アンゴラ、ザンビア国境地帯の広い地域にに居住するバントゥー系農耕狩猟民族。17,18Cにアンゴラに栄えたルンダ王国に属していたがやがて独立し、いくつかの独自の王朝を立てた。
Mgongeと呼ばれる男性結社とUkuleと呼ばれる女性結社が、伝統的なチョクウェの社会では重要な役割を果たしていた。
彫刻の名手として知られていて、宮廷美術と民間工芸の二系統の作品を生み出している。チョクウェのPwoと呼ばれる仮面は非常によく知られている。
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| ・バティック |
→ろうけつ染め |
| ・バテケ |
コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、ガボンにまたがって住むバントゥー系民族。15C頃に同地域に移住してきたと考えられ、交易者として名をはせた(バテケとは「買う人」の意味)。かつてバテケが中心となりこの地域にティオ王国(テケ王国)を建国した。
信仰のための様々な偶像をつくり、像に超自然的な力を持つ呪物を取り付ける。バテケの作る仮面は円盤状の仮面が有名であり、幾何学的な彩色を施す(中には日本の遮光器土偶そっくりのデザインのものもある)。
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・ハート型
の顔 |
カメルーン、ガボンからコンゴ盆地さらにはザンビアの一部にかけての多くの民族の間で作られる仮面や彫像の顔に見られる特徴的な造形のこと。眉毛の線を境に眼窩から頬の部分をハート型にへこました様式であり、ガボンのクウェレ人が作るEkukと呼ばれる仮面が最もよくその特徴をあらわしている。
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| ・バナナ |
バショウ科バショウ属の植物またはその果実。世界各地の熱帯地方で栽培されている。バナナの原産地は東南アジアの熱帯地方と考えられ、アフリカには東南アジアからマダガスカル経由で伝えられたと考えられている。
バナナの果実は熱帯アフリカ各地で盛んに栽培されていて、熱帯地域のみならず周辺地域の貴重な食糧となっている。甘みの少ない大型のプランテインと呼ばれるバナナは料理用として、焼いたり揚げたりして主食として用いられることもある。東アフリカの一部ではバナナを発酵させてつくった酒がある。
さらにバナナの葉は屋根ふきや包装材などとして、また葉や樹皮はバスケトリー(かご細工)の材料としても用いられるなど食用以外の用途にも活躍している。
バナナは一般に「バナナの木」と呼ばれるなど木と思われることが多いが草の仲間であり、果実も正確には野菜に分類される。
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| ・バニ川 |
ニジェール河の支流のひとつ。コートジボアール北部に発したバウレ川とバゴエ川がマリ南部で合流し、マリ中部モプティ付近でニジェール河本流に合流する全長1100kmの川である。下流のサンからニジェール河本流への合流地点まで毎年の増水期には広大な氾濫原が出現する(ニジェール河本流の氾濫原−モプティ付近からトンブクトゥ付近まで−とあわせてニジェール河内陸デルタとも呼ばれる)。
世界最大の泥のモスクで有名なジェンネはこのバニ川に浮かぶ中州の島である。
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| ・パーニュ |
→アフリカンプリント |
| ・バプヌ |
ガボンのングム川上流域に居住するバントゥー系民族。18C頃に南方から現在の居住地に移住して来たと考えられている。
バプヌは女性の仮面を多くつくるが、それは理想の女性像であり、女性の祖先をあらわしている。バプヌの仮面は写実的な造形であり穏やかな表情をしているものが多い。多くの仮面が白く塗られているが、白は平和を表す色であると共に死者の魂を表す色でもあるため、仮面は白塗りの仮面は葬儀の場でつかわれることが多い(アフリカの多くの社会で白塗りの仮面は死と結び付けて考えられている)。
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| ・バムン |
ムムとも呼ばれる。カメルーン北西部、グラスランドと呼ばれる高原地帯に居住し小規模な王国を形成した(する)民族。バントゥー系言語と近縁の言語を話す。19C末にバムン王国のンジョヤ王がバムン語を記述するための独自の文字(アカウク文字)を開発した。
頬を膨らませた表情が独特な仮面を作ることでも知られている。
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| ・ハミガキノキ |
ハミガキノキという名前の木があるわけではないが、西アフリカでは歯をみがくのに木の枝を使うことが多い。長さ10〜20p程度、直径5〜15o程度の木片の先端を噛んでささら状にしてその部分で歯をみがく(日本の房楊枝を単純にしたようなもの)。
単純に木の枝を適当な長さに切っただけのものや、木材を割って適当太さにしたものなど、いくつかの種類があり、木のにおいや材質などによって人それぞれの好みがある(どの木でもいいというわけではなく、歯みがきに適した木というものがいくつかある)。アフリカの人の歯が真っ白なのは、かたい木でしょっちゅうゴシゴシやっているからかもしれない。
セネガルではなぜか夜に歯をみがくと家族(両親)に不幸があるといわれ、一種のタブーになっている。
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| ・バミレーケ |
カメルーン西部高地およびその周辺地域に居住する農耕・牧畜民族。伝統的首長(フォン)に率いられている大小のサブグループに分かれている。
バミレーケの工芸文化はアフリカを代表するものとして広く知られている。代表的なものとしては幾何文様や人像、動物像などの透かし彫りで支えられたバミレーケの丸イスや、仮面、イス、ひょうたん、そのほかの工芸品の表面に施す精緻なシードビーズ細工などが知られている。
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| ・バヤカ |
コンゴ民主共和国南西部クワンゴ川流域に居住するバントゥー系民族。氏族ごとに長老組織をもつ。
木彫の名手として知られていて、仮面、彫像、家具、楽器など多彩な木彫製品を作り出している。
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| ・バラフォン |
西アフリカの広い地域で使用されている伝統楽器バラフォン(木琴)。西アフリカを代表する鍵盤楽器でありさまざまな現地名を持つが一般にバラフォン(西アフリカの言語の「バラ」という単語とヨーロッパ系言語の「フォン」の合成語)とよばれている。
地域によって形態に多少の差異は認められるものの、木製の鍵盤の下に大きさの異なる複数のひょうたんを取り付け共鳴器とするという基本的な構造は共通している。大きいものでは20鍵以上、長さ1.5m以上に達し、民間音楽、宮廷音楽を問わず幅広く演奏されてきた。ひょうたん共鳴器によって柔らかに増幅されたその美しい音色に、世界中に多くの愛好者がいて、また近年では多数のバラフォン奏者が欧米で活躍している。
演奏者が手首に金属片や木片などを付けたブレスレット状のものを着けることがあり、その場合鍵盤をたたくたびに金属片や木片がカシャカシャと音を立て演奏に独特のリズムを加えることになる。
ブルキナファソにはバラフォンの音階やリズムで言葉を伝える、「木琴言葉」がある(西アフリカ各地には太鼓のリズムなどで言葉を伝える「太鼓言葉」も存在する)。
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| ・バリバ |
ベナン北中部に居住する農耕民族。19Cには同地方に王国を建設した。動植物、人工物を題材とした寓意的なモチーフ(それぞれのモチーフが、ことわざ、物語の主人公、感情などと結び付けられている。)を施した精巧な装飾のひょうたん工芸品を作ることで知られている。
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| ・バルンダ |
コンゴ民主共和国南部、アンゴラ東部、ザンビア北部にまたがって居住するバントゥー系民族。かつてルバ王国と同盟し、強大なルンダ王国を同地域に作り上げその影響力はコンゴ盆地南部の熱帯雨林・周辺のサバンナ地帯一帯に及んだ。
バルンダの故地は現コンゴ民主共和国南部カラニ川流域であり、そこからルンダ王国の拡張と共に現在の居住地へと拡大して行った。
現在のバルンダは100以上のサブグループにわかれているがその総人口は150万以上に達すると推計されている。
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| ・バルバ |
ルバとも言う。コンゴ民主共和国国南部に居住する大きなバントゥー系民族集団。伝統的な盛業は熱帯雨林周辺部のサバンナ地帯での農耕である。バントゥー語族の中でルバ語と特に近い関係にあるルルア、バソンゲ、バルンダなどの言語はルバ語系と呼ばれる言語グループを形成し、コンゴ民主共和国の中で大きな母語人口を持っている。
16〜19Cにかけて同地に栄えたルバ王国を建国した。その彫刻はアフリカ美術の宝庫といわれるコンゴ盆地諸民族の中にのみならず、アフリカ全体でもバクバ(クバ)と並び最高の評価を受けている。女性像、もしくは男女ペア像が支える枕、いすなどの彫刻は特に有名であり、「ブリの名工」「懸崖の髪の名工」(個人名は特定できないが、作品の見つかった場所や、作風などからつけられたニックネーム)などの名人を生んできた。
ルバ彫刻に見られる写実的に彫られた彫像の静謐さをたたえた表情は、全アフリカの彫刻の中で最も美しいもののひとつに数えられている。
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| ・バレガ |
コンゴ民主共和国南東部ルアラバ川流域に暮らすバントゥー系民族。農耕,狩猟,漁労などをおこなう。歴史的に集権的な政治組織を持たなかったバレガの社会ではBwamiと呼ばれる結社組織が政治的、宗教的に中心的な役目を果たしている。
バレガは結社の儀式などで使う様々な仮面を作ることでも知られている。彼らの作る仮面のなかでも典型的なハート型の顔の白塗りの仮面(樹皮などで作ったひげが付いていることが多い)が特徴的である。
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・バントゥー
諸民族 |
ニジェール-コルドファン語族・ベヌエ-コンゴ語派バントゥー諸語に属する言語を話す多数の民族集団の総称。バントゥー諸民族には数百の民族集団が含まれるといわれ、彼らの居住地域はナイジェリア東部、カメルーン、コンゴから赤道以南のアフリカのほぼ全域に及ぶ(カラハリ沙漠、南部アフリカ内陸部のいくつかの地域を除く)。
バントゥー諸民族の故地はナイジェリア東部からカメルーンにかけての地域といわれ、紀元前後から3Cごろの間に移動、拡張を開始。コンゴの先住民であったとピグミー、南部アフリカ一帯の先住民族であったコイ・サン民族をそれぞれ、熱帯雨林の奥地、カラハリの奥地へと追いやりながらそれぞれの土地に定着していった(バントゥー諸民族の故地については現中央中央アフリカ共和国のサバンナ地帯とする説もある)。
バントゥー系諸民族には数百もの民族が含まれその生活形態も狩猟、牧畜、農耕と多岐にわたるにもかかわらずバントゥー系諸言語の間にはかなりの共通点が見られる。バントゥーとは19Cのヨーロッパ人言語学者が作った用語で「ントゥ」は「人間」という意味、「バ」は複数形を表す接頭辞であり、コンゴ、クバ、ルバなどの民族がそれぞれバコンゴ、バクバ、バルバと呼ばれるのはそのためである。
また、東アフリカ沿岸部のバントゥー系言語とアラブ人交易者のアラビア語の接触の結果生まれたスワヒリ語はアフリカを代表する言語の一つに数えられている。
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・バンバ,
アマドゥ
(アマドゥ
=バンバ) |
1850〜1927。セネガルの宗教、政治、経済に絶大な影響力を持つイスラム教・ムーリディーヤ教団の創始者。フランスによる植民地化への抵抗の象徴として大きな支持を集めた。
セネガルでは町や村の壁、立ち木などいたるところに彼の肖像が描かれている。ムーリディーヤの総本山トゥーバの町には壮麗なモスクが建ち、警察や軍も教団の許可なしには立ち入れないという。
パッチワークの服にドレッドヘアのムーリディーヤの托鉢僧「バイファル」達がバンバの写真を首からぶら下げているのを目にする機会も多い。
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| ・バンバラ |
マリの最大民族。バンバラは周辺民族による他称、自称はバナマ。マリンケ、デュラ等の民族と同じマンデ系民族。(マンデ系諸民族はマリ、ギニア、ブルキナ、コートジボアールに広く居住し、マンデ諸語は同地域での共通語となっている。)
かつての黄金帝国マリの末裔を自負し、ソンガイ帝国滅亡後は自らの王国を持ったこともある(セグー王国、カアルタ王国など)。周辺の諸民族に比べイスラム化するのが遅かっため(仮面)結社=トンをはじめとする民族独自の文化を保持してきた。
直線的で堅牢、哲学的な印象の彫刻を制作することで知られ、中でもカモシカをかたどったチワラの彫刻は有名。マリのシンボルとしてさまざまなものにその図像が描かれている。
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| ・バンボレ |
コンゴ民主共和国中央部コンゴ河流域に居住する民族モンゴの一支族。18C頃にルアラバ川流域から現在の居住地に移動して来たと考えられている。リルワと呼ばれる結社組織が村々の暮らしを統治している。
卵形の頭、ハート型の顔が特徴的な彫刻をつくるが、バンボレの彫刻の中で最も有名なのはオフィカと呼ばれる首を吊られた人間の像である。これはリルワ結社の加入儀礼の際に、掟を守らなければこうなるぞという教訓として用いられたという。
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| ひ |
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| ・ビクトリア湖 |
ウガンダ・ケニア・タンザニアの国境地帯、アフリカ大地溝帯の中に位置するアフリカ最大、世界でも三番目の面積を誇る大湖(6万9千ku)。ナイル河(白ナイル)の源流としても知られているがビクトリア湖に流れ込む川がいくつかあり、その川の源流こそ真のナイルの源流との見方もある。漁業も盛ん。
もともとの名前は「ニャンジャ/湖の意」であったが、1858年にビクトリア湖を「発見」したイギリスの探検家スピークが時のイギリス女王の名を取ってビクトリア湖と名づけ現代に至る。
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| ・ピグミー |
コンゴ盆地を中心とした各地の森林地帯に居住する狩猟採集民族。いくつかのサブグループに分かれるが、世界で一番身長の低い民族といわれ(成人男子の平均身長が140〜150p。)、古代ギリシャ語で小人を意味するピュグマイオイに由来するピグミーという名で総称される(ピグミーの存在は古代ギリシャ、エジプトに知られていた)。
かつてはコンゴ盆地を中心にアフリカの広い地域に居住していたがバントゥー系民族の拡張に伴い徐々に森林地帯の奥地に追いやられていった。固有の言語はすでに失われ近隣のバントゥー系民族の言語を借用している
森林地帯に簡単な小屋を作り女は採集、男は狩猟(弓矢猟、罠猟、槍猟:ゾウすらも槍で倒すという)に従事し、近隣の農耕民との間で肉と農作物の交換をする。
主なピグミー集団にはコンゴ・ウバンギ川間の地域に住むビンガ、コンゴ北東部イトゥリの森に住むムブティである。
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| ・ビサップ |
ハイビスカスの一種のがく(花びらの外側の部分-よくアジサイの花びらだと間違えられる部分)をほしたもの。またはそれを水に漬けたり煎じたりして作られた赤紫色の飲み物の事。砂糖を加えて飲むことが多い。西アフリカ、サヘル全域で−西はセネガルから東はスーダン共和国まで−広く飲まれている飲み物である(スーダン共和国、チャドなどアラビア語圏ではではカルカデと呼ばれている。また北アフリカ、中東にも同様の飲み物があるらしい)。
ビサップの葉の部分を包丁でよくたたくと粘りのあるペースト状のものができる。セネガルなどではこれをご飯の付けあわせとして良く食べるが酸味があってなかなかの味である。
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| ・ビジャゴ |
ギニアビサウのビジャゴス諸島に居住する民族。かつては大きなカヌーを連ねて近隣の沿岸部を荒らしまわっていた。
現在でも伝統的宗教や儀式がよくのこっていて、儀式に使う動物をかたどったヘルメット状のマスクはアフリカの中でも一二を争うほど写実性に優れている。またカヌーの舳先に彫刻を施した美しい船首飾りを取り付けることでも知られている。
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| ・ピジン言語 |
2つ以上の言語の接触の結果生まれた混成言語。主な特徴として、たとえばA語とB語の接触の結果A’語というピジン語が生まれた場合、文法についてはA語の文法を単純化して受け継ぎ、語彙も多くはA語由来であるが発音などはB語的になる、またA・B両語に比べ表現手段が非常に限られている(あくまで補助言語としての役割)ことなどがあげられる。
古来異民族の接触が多く起こる交易の場などで生まれてきた。アフリカの代表的なピジン語としてはかつてのスワヒリ語があげられる(現在はほとんどクレオール化している)。また英語圏の国を中心にいくつものピジン英語が話されている。
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| ・ビーズ |
アフリカでは古くからビーズ玉がタカラガイとともに貨幣の代わりとして交易等で重要な役割を担ってきた。インド、アラブの商人、ヨーロッパの交易者が持ち込んだガラス玉やトンボ玉が主としてその役を担っていたが、アフリカの一部の地域では独自のビーズ玉を製作していた。
西・中部アフリカで一般的に大粒のビーズを使ったアクセサリーが好まれるが、シード小ビーズを用いて仮面、彫刻、服、帽子、日用品などに色鮮やかな文様や絵を描き出すビーズ細工がナイジェリア(ヨルバ)、カメルーンなどで発達した。
古くからインド洋交易を通じて大量のシードビーズがもたらされた東・南部アフリカではシードビーズを用いたビーズ細工が盛んであり、コーサ、ズールー、ンデベレなどのビーズ細工は世界的に有名である。
アフリカでビーズが貨幣の代わりとして流通し始めたのがいつかははっきりしないが16C頃ポルトガル人が本格的にアフリカとの交易を始めた時にはすでにビーズ(ガラス玉)がかなり普遍的な価値を持つ通貨として流通していたという。そのためこれらのヨーロッパ商人は通貨として大量のモザイクガラス玉(トンボ玉)持ち込み、支払いに当てた。
現在では貨幣経済の浸透により通貨としての価値は失われたが、アクセサリーの材料としてアフリカの人々に愛用され続け、今日では色鮮やかなビーズを用いたアクセサリーはアフリカンアクセサリーの代名詞となっている。。
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| ・ヒツジ |
→ヤギ/ヒツジ |
| ・ひょうたん |
ウリ科ユウガオ属の植物。現在世界中で栽培されているが原産地は西アフリカと考えられている。日本ではひょうたん(の実)といえば中央のくびれたいわゆるひょうたん型のものを思い浮かべるが、アフリカではさまざまな形のひょうたんが利用されている。
球形:丸型から扁平なものまであり、半分に切ってボール型容器として使用。または上部
に穴を開けつぼ型容器としても使用する。半切りにしたひょうたん上部をそのまま
ふたとして使用することもある。アフリカではこのタイプのひょうたんが一番多い。
胴長:ひょうたん胴体部のくびれが細長いもの。上部を切り落とし、容器として使用する。
円筒形:(長瓢とも)おおむね容器として用いるが、まれに衣服(ペニスケースとして用い
る民族もいる。
他にもさまざまな形のひょうたんがさまざまに利用されている。日常生活に欠かせない液体や食糧の容器としてだけでなく、時として金庫、財布、衣装箱ともなり、嫁入り道具ともなるひょうたんは、民話や神話にもたびたび登場し、アフリカの文化と密接に結びついている。
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| ・平織 |
織物の中で最も基本的で単純な織り方。経糸(たていと:布の長辺方向に平行に織り込まれた糸。綜絖に取り付けられ、綜絖棒の運動によって杼口が開かれる)と緯糸(よこいと:布の長辺方向に垂直方向に織り込まれた糸。杼に取り付けられ、経糸に開いた杼口に通すことで布が織られていく)を交互に一本づつ織り込んでいく織り方。
アフリカの細幅布で無地のものや泥染め、藍染用の細幅布はほとんどがこの技法で織られている。
アフリカの布
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| ・ビルマ |
ニジェール北東部、テネレ沙漠の中央に位置するオアシス。ニジェール北部の中心地アガデスとの間800kmには世界で最も乾燥した沙漠の一つと呼ばれるテネレ沙漠が横たわる。
古くからトリポリ・キレナイカ方面(現りビア)を結ぶ交易路の要衝として知られていた。ビルマには塩水の湧く池があり、古くから製塩が行なわれていたことでも知られている。ビルマの塩は塩分の貴重な西アフリカ内陸部で珍重され、テネレを越えアガデスへ、アガデスからさらに各地へと運ばれた。
現在でも乾季にはアガデスとビルマの間を塩を運ぶためのアザライ(ラクダキャラバン)が往き来し、アガデスに運ばれた塩はそこからニジェール各地に移出される。アガデスから遠く離れたニアメ近郊の町の市場などでもビルマの塩を目にすることができる。またリビアとニジェールを結ぶ交通の要衝でもある。
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| ふ |
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| ・ファン |
ガボンに居住する農耕民。同国最大の民族グループ。16C〜17C頃にカメルーン方面から移住してきた。アフリカ屈指の彫刻の名手として世界に名高い民族でもある。納骨箱の蓋に付けるビエリと呼ばれる守護神像、細長い顔をした火の霊の仮面などが有名。(うろ覚えではあるが、何年か前にファンの古い仮面が750万ドルで落札されたというニュースがあった。)
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| ・ファンティ |
現ガーナ沿岸部に住むアカン系民族。ガーナ中部に興ったアシャンティ連合王国としばしば対立し戦争を繰り返してきた。1868年にはファンティ連合というファンティ人の同盟を結成し、北方のアシャンティ連合王国、当時ガーナ沿岸部に勢力を伸ばしていたイギリスに対抗したが、内紛や主要メンバーがイギリス軍に逮捕されたことにより連合は1873年に崩壊した。
イギリスの勢力化に組み込まれていた時代、輸入綿布のアップリケで様々な軍旗を作り、それらはファンティ軍団のアサフォ軍旗(アサフォは戦士の意味)として知られ、アフリカのアップリケの中の代表的なものの一つに数えられている。
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| ・フォン |
ベナン南部に居住する同国最大の民族集団。ベナンの政治、経済の中心的存在でもある。ヴードゥー教の信者が多い。17世紀初頭から19世紀末まで同地域に栄えた強大な軍事国家ダホメー王国を作った。ダホメー王国の時代宮廷美術が発展しダホメー王の紋章をはじめとする、動植物、人工物を題材とした寓意的なモチーフ(それぞれのモチーフが、ことわざ、物語の主人公、感情などと結び付けられている。)を、さまざまな工芸品に施すことでも知られている(アップリケは特によく知られている)。それらのモチーフを施したひょうたん細工はアフリカのひょうたん工芸の中でも最高のレベルに達したものと評価されている。
またフォンをはじめギニア東部(ギニア湾諸国東部:ガーナ、トーゴ、ベナン、ナイジェリア)の森林地帯の民族の造る彫刻(木彫)はスーダンやコンゴの諸民族のものと違い、木を燻さない(黒くしない)、派手な彩色を施す(特に制作年代の新しいもの)、など一風変わった特徴を持っていることが多い。
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・ブガンダ
王国 |
17C頃?から1966年まで東アフリカ現ウガンダ領を中心に存在した王国。北西部の大国ブニョロ王国の支配下にあったが17C頃にバントゥー系農耕民ガンダ人を中心に独立したと考えられている。
その後象牙交易などで蓄えた富をもとに軍備を強化、地域一の軍事大国となり、かつての宗主国ブニョロ王国を逆に圧迫するまでになった。
19C末には同地域に進出してきたイギリスの保護領下に入るが、ブガンダ王国は植民地体制化でもかなりの自治を維持し、1962年のウガンダ独立後も王国は存続。ウガンダの初代大統領にブガンダ国王がなるなどウガンダの政治に多大な影響力を保持していた。
1966年のクーデターの結果、ブガンダ国王は海外亡命し、ブガンダ王国は消滅した。1993年世俗権力を持たない文化指導者としての王位が復活された。
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・フータ
=ジャロン |
現ギニア共和国北部セネガルとの国境地帯にある山岳地帯。主にフルベ人が住む。18C後半から19C後半西スーダンを席巻することになったフルベ人によるイスラム国家建設が最初に起こった土地としても知られている。フータ=ジャロン王国は17C前期に建設され1881年にフランス軍によって征服されるまで存続した。
この地域のフルベ人は自分たちの言葉をアラビア語で表記したアジャミーヤと呼ばれる文学を作り出した(アジャミーヤとはアフリカの言語をアラビア文字で記す表記法の総称でもある。アラビア語で外国語を意味する言葉「アジャミー」に由来する)。
山岳地帯であるので夏の夜でも結構冷え込み、197何年だかには雪が降ったことがあるらしい。
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| ・フータ=トロ |
セネガル河中流域を表す地名。古くはガーナ王国の領域であり、ガーナ滅亡後マリ帝国とスーダンの覇権を争ったテクルール王国もこの地域を本拠地とした。
16C半ばから1776年まで同地域に栄えた王国も地名をとりフータ=トロ王国と呼ばれる。ソンガイ帝国の支配に抵抗したフルベ人の一派がソンガイ軍に敗れた後、マンデ系住民を吸収しつつ東に移動、旧テクルール王国領フータ・トロにあったソニンケ人の王国を滅ぼして建国した。
支配者であるフルベ‐マンデ人が自らをデニアンケと呼んだためデニアンケ王国とも呼ばれる。1776年にスレイマン=バに率いられたイスラム化したトゥクロール人により滅ばされた。
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| ・フダル |
ソンガイ帝国に侵攻したサード朝モロッコ軍の隊長。生年不詳〜1606年。キリスト教徒としてスペインに生まれ幼くして捕虜となりイスラムに入信、サード朝モロッコの軍人となった。またフダルは宦官であった。
サード朝モロッコは、1590年にフダルを隊長とする4000人の部隊(ほとんどがイベリア半島出身の傭兵か囚人)を派遣し、サハラを越え直接ソンガイ帝国の首都ガオへ侵攻した。火縄銃、大砲で武装したこの部隊はサハラを越え、1591年3月13日ガオの北トンディビでソンガイ帝国の大騎馬隊と衝突した。ソンガイ帝国は西スーダンで無敵を誇った騎兵隊4万人を動員しこれを迎え撃ったが、モロッコ軍の火力(火縄銃)の前に敗退した。
モロッコ軍はガオへ、ついでトンブクトゥ、ジェンネを攻略し、ソンガイ帝国は滅亡した(後継王朝は小規模な地方政権として残存した)。
ソンガイを滅ぼしたフダルはその後モロッコに帰国し、サード朝の後継者争いに巻き込まれ死亡した(1606年)。
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・ブニョロ
王国 |
東アフリカ現ウガンダ領北西部に1966年まで存在したバントゥー系農耕民ニョロ人の王国。ブニョロ-キタラ王国とも。かつてこの地に栄えたキタラ王国の後を襲い、16Cはじめごろに成立したと考えられている。
17C半ばの最盛期には地域屈指の大国であったものの、19Cには王国領南東部から分離独立したブガンダ王国に圧迫され、19C末にウガンダ全土がイギリス保護領下に入った後は、植民地体制化の小王国として存続した。
1962年のウガンダ独立後も王国は存続していたが、1966年のクーデターの結果ブニョロ王国は消滅した。1993年世俗権力を持たない文化指導者としての王位が復活された。
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| ・ブララ |
チャド中部フィルティ湖周辺に居住する民族。ナイル‐サハラ語族に属する言語を話し、そのほとんどがイスラムを信仰する。近縁のクカ、メドゴとブララをあわせてリシと呼ぶこともある。
14C頃には現在の居住地周辺に住んでいたらしく(そのときは遊牧民だった)、同世紀中頃、当時その地方を支配していたカネム=ボルヌー帝国に反旗を翻し、チャド湖東部地方を征服、同地域にヤオ王国を建国した。
ブララ人によりチャド湖西岸へと追いやられたカネム=ボルヌー帝国だったが、15C初期には失地回復の戦いを開始。ヤオ王国はガルニ=キヤラの戦いで敗北し、カネム=ボルヌーの宗主権を受け入れたものの、イドリス=アロオマ王(彼の母はブララの王女であった)によって完全に再征服されるまで実質的にはチャド湖東岸地方の支配者であり続けた。
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| ・ブリの名工 |
19C中頃から末にかけて活躍したと考えられるルバの彫刻家。コンゴ民主共和国北部のブリという村で彼の作品が大量に収集されたことから、欧米の研究者に「ブリの名工」と名付けられた(作品にサインなどがあるわけではなく、研究者が作風から同一人物の作と判断したもの)。
精巧な細工、深い悲しみをたたえた表情(もしくはヨーロッパ的文脈で見た場合に悲しみの感情をあらわしているように見える表情)などがの作風が特徴とされている。
19Cに同地域で高名をはせた彫刻家ンゴンゴ=ヤ=チントゥという人物がブリの名工の正体ではないかと考えられている。
アフリカ美術の歴史の中で最も有名、かつ優れた芸術家の一人と評価されている。
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・ブラック
アフリカ |
→サハラ以南のアフリカ |
| ・フラニ |
→フルベ |
| ・プール |
→フルベ |
・ブルキナ
ファソ |
西アフリカの内陸国であり、面積約27万ku(日本の約3/4弱)、国土のほとんどをサヘルが占めるが北部には半砂漠地帯が、南部国境地帯では降水量の多い地帯が存在する。国土は起伏に乏しくほぼ平坦かなだらかな丘陵地帯が広がっている。かつてモシ王国が栄えた地でもある。
独立時はオートボルタ(ボルタ河上流の意味)といったが84年にモシ語とジュラ語の合成語で「(奴隷ではない)自由な人々の祖国」を意味する現国名に改名。国土のは大半はサヘルに位置する。アフリカ最大の映画祭FESPACOを奇数年に開催することでも知られている。
主な民族は、モシ、ボボ、ジュラ、ロビ、フルベ、グルンシ等。モシ、グルンシ(ブワなどのサブグループを含む)、ボボ、ロビなどは木彫の名手として名高い。
また木彫のほかにもひょうたん細工、ブロンズ彫刻、かご細工(バスケトリー)、布工芸品など上質な工芸品の製造で知る人ぞ知る西アフリカの隠れた工芸大国でもある。
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| ・フルベ |
自称フルベ。フラニ、プール等の呼び名は周辺民族からの他称である。東はスーダン共和国西部から西はセネガルまで、北はニジェール北部から南はギニア、カメルーンまで、サヘルの広大な地域に居住する牧畜民。
本来の生業は牛牧であったが過去二世紀の間に村落に定住し農耕に従事するもの、都市生活者となるものが増え、現在では伝統的な遊牧生活を送るのはウォダーベ(ボロロ)と呼ばれるフルベのサブグループだけである(ウォダーベ以外の牧畜フルベは遊牧ではなく移牧と呼ばれる生活形態をとっている)。
18C後半から19C後半にかけて西スーダン各地でジハードをおこしいくつものイスラム神権国家を作り上げた。
フルベの女性は顔面に刺青を入れることで知られ、その文様は地域によってさまざまである。
アルジェリアのタッシリナジェール遺跡の牛の時代(前4,000年頃〜前1500年頃)の壁画を描いた人々がフルベの祖先ではないかといわれている。
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・フルベの
ジハード |
18C後半から19C後半にかけて西スーダンを席巻したフルベ人およびトゥクロール人によるイスラム宗教改革運動とイスラム神権国家樹立運動。
当時西アフリカ内陸部では一部の支配層や長距離交易に携わる商人集団などを除き、一般人のイスラム化はあまり進行していなかった。支配層のイスラム信仰に関しても非ムスリムである被支配層への配慮もあり、民族宗教、土着の信仰との集合が多く見られた。
西スーダンで比較的早く民族単位でイスラム化した牧畜民フルベのイスラム指導者は習合的イスラム信仰を批判、正統なイスラムを広げるために西スーダン各地で相次いでジハードをおこしイスラム国家を樹立した。フルベのジハードの結果西スーダンのイスラム化が進み、ヨーロッパ植民地勢力への抵抗の精神的支柱のひとつとなった。
主なフルベ・イスラム国家としてウスマン=ダン=フォディオのソコト帝国、マシーナ王国、フータ=ジャロン王国、エル・ハジ=ウマルのトゥクロール帝国などが挙げられる。
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| ・ブルンジ |
東アフリカ内陸部タンガニーカ湖の北岸に位置する国。国土の大部分が高原地帯に位置する。15C頃に移住してきた北方系の牧畜民フツが先住のバントゥー系農耕民ツチを征服しブルンジ王国を築いたという北隣のルワンダと非常によく似た歴史・社会構成を持つ。
19C末から続いた植民地時代を経て1962年にブルンジ王国として独立。1966年のクーデターにより王国は消滅しブルンジ共和国となった。
主な民族はツチ、フツ、ピグミー系の先住民トワなど。三者ともにバントゥー系言語であるルンジ語(ルワンダの言語ニアルワンダ語と類似している)を母語とする。
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・ブルンジ
王国 |
東アフリカ内陸部現ブルンジ共和国とほぼ重なる地域に存在した王国。ルワンダ王国と酷似した歴史・社会構成を持ち15Cごろ北方から現ブルンジ領に移住してきた北方系牧畜民フツによって、先住民であるツチ(バントゥー系農耕民)、トワ(ピグミー系狩猟採集民)を支配する形で建国されたと伝えられている。
1890年からのドイツ植民地時代、第一次大戦後から独立までのベルギー領時代にも両国の間接統治政策の下、王国は存続し1962年にブルンジ王国として独立を果たした。
1966年のクーデターにより王国は消滅しブルンジ共和国へ移行した。
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| ・ブロンズ |
青銅器製造(ほとんどは失蝋法による)の歴史は西アフリカではそれほど古くない。古いところでイフェ文化(AD12C〜)、イボ・ウクウ文化(AD9C?)があり、そこから大きくは遡らないと考えられている。西アフリカではヨーロッパ、アジアと違い鉄器文化が青銅器文化に先行していた(鉄器文化の起源はBC6〜5Cあたりまで遡れると思われる)。理由としては同地域で鉄が比較的容易に採集できたのに対し、銅鉱脈がない、または採掘しにくかったということが考えられる。事実有名なベニンの青銅彫刻も原料のほとんどをヨーロッパ(ポルトガル)からの輸入に頼っていたといわれている。
西アフリカ各地、特に今日のガーナなど金が豊富に取れる地域では金の計量のために銅、真ちゅう製などの分銅が盛んに作られてきた。当初は単純な幾何文様が刻まれていた分銅はやがて複雑な文様、ことわざ、様々な動植物をかたどった、アフリカのミニチュア工芸品へと進化していった。
またギニア湾岸の王国では宮廷の工房で盛んにブロンズ像、ブロンズ製品がつくられ、特にイフェの写実的なブロンズ像、ベニン王国の彫刻を施した青銅版はアフリカ芸術の傑作として高い評価を受けている。
アフリカのブロンズ彫刻
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| ・ブワ |
ブルキナファソ中部およびマリ南東部に居住する農耕民族。グルンシのサブグループの一つである。
ブワは仮面のつくり手としても知られていて、円盤状の仮面、パピヨンマスクなどと呼ばれることもある横長の仮面などが有名である。
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| へ |
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・ベナ=
ルルア |
コンゴ民主共和国南部のルルア川流域に暮らす様々な民族の総称。この地域を支配したルルア王国の王カランバンが1875年からに行なった一連の宗教・社会改革により、ベナ=ルルア様式と呼ばれるアフリカでも最も美しいものの一つとされる美術様式(仮面・彫像・そのほかの木彫など)を生み出した。
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| ・ベハンジン |
第十二代ダホメー王国国王(アダンドザンを含めなければ第十一代)。1844〜1906.。在位1889〜1894。ダホメー王国の実質上最後の王。
1889年父王グレレの跡を継ぎダホメー国王となったベハンジンは即位後すぐに同地域への侵攻を企てるフランス軍との戦いに突入した(1890。第一次フランコ-ダホメー戦争)。さらに1892年から始まった第二次フランコ-ダホメー戦争にて、アマゾネス軍団を擁し東ギニア最強を誇ったダホメー王国軍は、装備において勝るフランス軍の前に敗退。1894年に首都アボメーが陥落しダホメー王国は実質的に滅亡した(名目上はアゴリ-アグボという王のもと1900年まで存続した)。
捕虜となったベハンジンはフランス領マルティニック諸島へ、ついでアルジェリアへの流刑に処され、1906年同地で客死した。
フランス軍に最後まで抵抗したベハンジンは現在のベナンでも国民的英雄として語り継がれている(ダホメーの王都アボメー市にはフランス軍を阻むかのように掌を突き出すベハンジンの巨大な銅像が建っている)。
ベハンジンの紋章は鮫と卵。鮫はフランス軍への抵抗を表している(海からやってくるフランス軍の船を鮫になって沈めてやる、といったことから)。
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| ・ベナン |
西アフリカギニア湾に面した国。かつて内陸部にはダホメー王国、沿岸部にはウィダ、ポポ、ポルトノボなどの都市国家が栄えた。独立時はベナン人民共和国に、90年にはベナン共和国(現国名)に改称。。ベナンという国名の由来は現在のナイジェリアに栄えたベニン王国(13C〜18C)からきているが直接には関係が無い。
またヴードゥー信仰の盛んな地(特にフォンの暮らす南部)として知られていて、1月10日のヴードゥー大祭の日は国民の祝日になっている。
主な民族は南部のフォン、ヨルバ、北中部のバリバ、デンディなど。
極彩色のアップリケ、フォン、バリバのつくる表面に緻密な彫刻を施したひょうたん容器などが有名。
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| ・ベニン王国 |
現ナイジェリア南西部ベニンシティーを都とし、13Cごろに形成されたエド人の王国。西のヨルバ諸国の文化的、政治的な影響を強く受けていた。
初期にはベニンシティー周辺のみを支配する都市国家であったが、15C半ばにはすでにかなりの規模の国家となっていた。15C半ばに即位したエウアレ王の治世下さらに領土を拡大し、国家組織の整備に努めた。その後も英明な君主が何代か続き(エシギエ王など)、ヨーロッパ人との交易(15C末〜)で栄え、16、7Cには東ギニア最大の国となった。17C末から国内の反乱、西のオヨ王国からの圧迫などで国力が衰えはじめ18C末にはもはや滅亡寸前であった。
19Cにヤシ油の交易などで一時勢いを取り戻したものの19C後半に相次いだイギリスとの紛争の末1897年に滅亡した。
ベニン王国では宮廷美術が発達し特に青銅彫刻、精緻な象牙細工などがよく知られている。中でもさまざまな場面でのオバ(王)の姿を浮き彫りにした青銅版は非常によく知られている。
独立時はダホメー共和国といった現在のベナン共和国の名前はこのベニン王国に由来する(直接の関係はない)。
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| ・ベヌエ川 |
ニジェール河の最大の支流。カメルーン北部アダマワ山地に発しナイジェリア東部を横断しロコジャでニジェール河に合流する。支流とはいえ全長1400kmの大河であり、水量の豊富な時期にはほぼ全流域が航行可能で流域の重要な交通手段となっている。
14C?〜19Cにかけて流域に存在したジュクン王国は一時期はハウサ諸国一の強国ザリアをも支配下に置くほど繁栄した。
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| ・ベルベル |
北アフリカ(マグレブ諸国)の先住民の総称。アフロ‐アジア語族ベルベル語群に属する言語を話す。かつてはマグレブ地方の広い地域に居住していたが、7,8Cに始まったアラブ・イスラムの侵入により、大部分が内陸の沙漠、山岳地帯に追いやられた。アラブとの交婚により多くがアラブ・イスラム化したが独自の言語、文化を保っているベルベル系民族もまた多い(トゥアレグなどがその代表格)が、現在では居住する全ての国で少数民族となっている。
ベルベルという呼び名は古代ギリシャ語のバルバロイ(野蛮人)が転訛したものであり、アラブ侵入以前の北アフリカの先住民族をまとめてあらわしていた呼称である(一口にベルベルといっても実際にはいくつもの民族集団トゥアレグ、カビール、サンハジャなどがある)。最近では古代ギリシャ人が「わけのわからない言葉を話す奴ら」という意味でつけたベルベルという呼称を避け、彼らの自称である「アマジク」という呼称を用いることも多い。
古代地中海史に登場するヌミディア人、ガラマンテス人などもアマジク(ベルベル)系の民族であったと考えられている。
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| ・ヘレロ |
ナミビアを中心にアンゴラ、ボツワナなどにも居住するバントゥー系民族。17Cごろ北東のほうから現ナミビア地方へ移住してきたと考えられている。いくつかの氏族に分かれていて、ナミビア北部で伝統的な牛牧生活を送っているヒンバもヘレロのサブグループのひとつである。
19C末のドイツ領南西アフリカ成立以降、ドイツ人入植者による土地、家畜の強奪、強制労働などに不満を募らせたヘレロは1904年大規模な武力闘争を始め、緒戦は有利に進めたものの最終的にはドイツ軍の圧倒的な軍事力の前に敗れ、その後の虐殺により人口の約80%を失った。
ヘレロの女性はヴィクトリア朝時代風の婦人服を民族衣装とし、その独特の衣装を身に着けたヘレロ人形はナミビアの人気土産物となっている。
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| ・ベンバ |
ザンビア北東部およびコンゴ民主共和国南東部に居住するバントゥー系農耕民族。生業の基盤は焼畑農耕であるが狩猟にも優れた民族であり、腕の良い狩人は社会的に大きな尊敬を得る。
ベンバはルバの末裔であり現在の居住地に2世紀ほど前に移ってきたとも伝えられている。19C頃にはアラブ人との交易で手に入れた火器を武器に王国を形成し周辺民族を支配下に置いたこともある。
いくつかの結社組織を持ちそれぞれの儀式で仮面が使用される。ベンバの仮面は非常に抽象化が進んだデザインであり、主に直線と円で構成されている。木像の製作はあまりおこなわない(小品は一部でつくられている)。
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| ほ |
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| ・ボゴラン |
→泥染め |
・ホガール
山地 |
アルジェリア南部サハラの只中に広がる広大な山岳地帯。アハガールとも呼ばれる。東にはジャド台地を通ってチャドのティベスティ山地が、南にはニジェールのアイール、マリのイフォラ山地が連なる。
アルジェリアのトゥアレグの本拠地であり現在も伝統的な遊牧生活をおこなうトゥアレグが多数居住している。ホガール山地西部のアバレッサというオアシスで発掘された4Cの宮殿の遺構はトゥアレグの伝説の女王ティン=ヒナンの墓所と考えられている。
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| ・ボゾ |
マリ中部ニジェール河大湾曲地帯を中心に流域に暮らすマンデ系の漁労民。ニジェール河の主と呼ばれることもある。ニジェール河の減水期に当たる10、11月から3、4月まで漁業キャンプを作り漁をする。最近では他国へ出稼ぎに行きその国での内水面漁業に従事するものも多いが、その漁の能力により西アフリカ最高の漁師とも評価されている。
ボゾは現在ニジェール河大湾曲地帯に住むどの民族よりも早くこの地域に住み始めたと考えられ、この地域の漁業権をつかさどる「水の主」、狩猟権をつかさどる「原野の主」はいずれもボゾである。
ニジェール河沿いの多くの町はもともとボゾの村であった所が多い(ジェンネ=ジェノ、ジェンネやモプティなど)。マリの首都バマコも19C末にフランスが街を建築し始める前はニジェール河の中洲にあるバンバ=コ(ワニの背中)と呼ばれるボゾの小村に過ぎなかった。
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| ・細幅木綿布 |
→布 |
| ・ボツワナ |
南部アフリカ中央部に位置する内陸国。国土のほとんどはカラハリ沙漠に覆われているが、北部には巨大な内陸水系、湿地帯(オカバンゴデルタ)もある。
この地域の先住民はコイ・サン系の人々であったが17C頃に始まるツワナ人の南下、移住によってカラハリの奥地へと追いやられた。この地に住み着いたツワナ人もズールー人やボーア人の侵入に悩まされイギリスの保護下に入り、1885年イギリス領ベチュアナランドとなった。
1966年に独立。豊富な鉱産資源(ダイヤモンドなど)によってサハラ以南アフリカでは非常に高い経済水準を保っている。
主な民族はツワナ(人口の8割を占める。ボツワナとは「ツワナ人の国」の意味)、カラハリに住むサンなど。ダチョウの卵殻を使った工芸品の製作が盛ん。
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| ・ボヘミア |
現チェコ共和国中部・西部を指す地名。9Cに始まる同地方特産のガラス工芸はボヘミアングラスの名で現在も世界中で知られている。
17C頃シードビーズの生産を始め、アフリカをはじめ世界各地に大量に輸出してきた。現在もアフリカに大量のボヘミア産シードビーズ、型押しグラスビーズ(水滴型、三角、勾玉型、電球型など様々な色・形のものがあり、特に西アフリカで好まれる)が輸出され続けている。
ボヘミア産型押しビーズ
 
  
  
  
  
  

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| ・ボボ |
ブルキナファソ西部およびマリに居住する民族集団。マンデ系言語を話す農耕民族であり、ブルキナ第二の都市ボボデュラッソはボボ民族とジュラ(デュラ)民族の町という意味。一説によれば8C頃に北から同地方に移住してきたとも言われるがはっきりしたことは不明である。歴史上ボボ民族として統一されたことは無く、大規模な政治組織も持たなかった。
仮面製作の名手として知られている。また焼き鏝で繊細な文様(草花文様・幾何文様・動物文様など)を施したひょうたん容器(ボール・ひしゃくなど)・ひょうたん楽器(マラカスなど)のひょうたん細工はアフリカで最も美しいひょうたん工芸品のひとつに数えられている。
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・ボルガ
タンガ |
ガーナ北部ブルキナファソとの国境付近に位置する街。サハラ縦断交易の南の終点の一つに当たり古くから交易の街として栄えてきた。主な住民はダゴンバ、グルンシであり、マンデ系の住民も居住している。
現在はボルガタンガの大市、土壁に幾何学文様をペイントした伝統家屋などで有名。
ボルガタンガで作られるカラフルなもじり編みのバスケトリーはガーナを代表する民芸品のひとつとして知られている。
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| ・ボルタ河 |
全長1600km、流域面積40万ku。アフリカ西部の大河。ブルキナファソ西部ボボデュラッソ付近に源を発する黒ボルタ河とブルキナ中部ワガドゥグ付近に源を発する白ボルタ河がガーナ中部で合流し南下。大西洋に注ぐ。河口から80kmほど上流に作られたアコソンボダムによって巨大な人工湖ボルタ湖ができた。
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| ・ボロロ |
→ウォダーベ |
・ホワイト
アフリカ |
→北アフリカ |
| ・ボンドゥク |
コートジボアール北東部、ガーナとの国境付近にある町。マンデ系の商人によって交易拠点として建設されたと考えられている(15〜16C?)。17Cはじめにアカン系のアブロン人によって征服されグヤアマン王国の領土となった後も同地域の重要な交易都市として機能していた。
19C末に一時サモリ帝国の支配を経て、サモリ帝国崩壊後フランス植民地体制下に編入された。
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